2018年8月26日
太陽と緑の会
代表理事 杉浦良

代表のつぶやき

 「人も物も活かされる街づくり」を太陽と緑の会の活動としてスタートして34年となりました。30歳手前で徳島にやってきましたが、徳島での生活のほうが長いことになります。徳島にどっぷり漬かって身動きが取れないなどということはありませんが、次の展開を考えなければならない時期であることは間違いありません。
 260余年続いた徳川幕藩体制が崩壊し、薩長連合による明治維新が敢行されて約70年後に太平洋戦争突入、敗戦後70余年が経ちました。そんな歴史スパンから考えると、たかが34年など、短いものです。
 本を読むことなどそれほど好きでなかった私が、今まで一番目を通したのは河合隼雄だと思います。一冊づつ出版された全集を買い集めたくらいですから。河合隼雄が日本で最初のユング学派のカウンセラーとなり、臨床心理学の第一人者として活躍したことは有名ですが、カウンセリングなどという言葉自体が日本に馴染みがなかった頃、果たして西欧で生まれたカウンセリングが日本で上手くいくのかどうかと苦悩している頃の文章が好きです。
 西洋の近代的自我確立は、どうも日本のそれとは違うのではないか?西洋的な認識と東洋的な見方には違いがあるのではないか?とすればカウンセリングのやり方も東洋的な日本的な在り方を模索していく必要があるのではないか?そんな実践を通しての違和感が学問的探究心につながったのでしょうか。
 ソーシャルウェルフェア・社会福祉、ソーシャルワーク・社会事業、ソーシャルワーカー・社会奉仕家といった領域にも、どこか同じような違和感を感じていたのでしょう。私も河合隼雄のように学問的探究心に繋がればよかったのでしょうが、本を読んだり文献を漁ったりすることがメインになるのは、充分苦痛でした。
 先日「これからの共同体」と題して、哲学者内山節さんのお話を聞く機会がありました。「・・共同体=コミュニティは明治時代の翻訳語であり、伝統的には我が村、我が町、我が仲間で、日本のイメージとは違う。西欧の共同体は生きている人間が構成するが、日本は自然、ご先祖様(死んだ人間)、生きた人間を含めたものである。社会=ソサイアティも、日本では世間としたほうが近いし、近代文明の発達は、個人として生きられる社会をつくったという錯覚を生み、それは人とも自然とも関係を築けない人々を生むことになる・・半世紀前に書かれた大塚久雄氏の「共同体の基礎理論」にも共同体とは封建的で自由がなく、自然に支配され文明が未確立というイメージがあるが、それは古い西洋の文献を日本に当てはめたからだろう・・ペリー来航時と太平洋戦争前の日本・アメリカのGNP比は、ほぼ1と1/10で、明治維新は成功だったのか?とする最近の研究もある・・」印象に残った言葉を勝手にまとめると、こんな言葉になります。
 翻訳語の多い社会福祉領域での、伝統的なイメージに根差した日本における持続可能な社会福祉の在り方を、しっかり掘り下げて考え直す必要があるのではと、34年の太陽と緑の会の活動を振り返りつつ感じています。






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