事務局通信80 ウソか本当か
メンバーのAさんが深刻な顔で「お母さんが病気で昨日入院した」と言ってきました。家には父ちゃんしかいないとのこと。2人の食事は近所に住む親戚の人が届けてくれたと言います。
念のため自宅に電話してみるとお母さんが出ました。
「Aさんから、お母さんが入院した、と聞いたものですから」と言うと、今のところは元気で風邪もひいていないとのこと。
Aさんはウソをついたのでしょうか。
このようなとき、「何や、ウソついたらあかんやないか。何でそんなウソついたんや」と倫理的に問い詰めても、本質的な所は見えてきません。
メンバーのCさんが太陽と緑の会の売場でお客さんに、ある人の噂話をしていたら、Cさんが発したある言葉(単語)だけが一人歩きして、その方のご家族がクレームを伝えに来られたことがありました。本人は相手の方がなぜあんなに怒っているのか分かりません。言葉(単語)とそれを聞いた相手が持つイメージとがリンクしていないことがあります。
「お前はあの時確かにそのような言葉を言ったでないか」と言われても、そんな言葉を言ったかどうかすら、定かでなかったりするため、「この期に及んでとぼけるつもりか」と火に油を注ぐ結果になります。
「言葉とはきちんと意味を理解した上で使うものだ」という常識があるとすると、その常識に捉われてしまう人ほど、見誤ってしまう。言葉を「信じる」エネルギーが強ければ強いほど、ウソを咎める攻撃力も増す。生真面目で正義感の強い人ほど、言葉にとらわれて真相を究明しようとやっきになり、何でもない話がとんでもない話に発展してしまう。
こんなときは「ウソか本当か」とは異なる軸が必要なのでしょう。
「自分はこういう時こう感じるのだから、相手も同じように感じるはずだ」「自分はこういう時こうするのだから、相手もそうするはずだ」と自分自身の価値観を物差しにしてもうまくいきません。
様々なハンディを持ったメンバーとお付き合いしていると、自分の価値観、物事の見方がいかに狭くて、硬直的なものか気づかされる瞬間があります。世界は、自分に見えているのと同じように、他者にも見えている訳ではない、という哲学的なテーマが見え隠れしています。奥が深いです。(り)