投稿日:2020年10月17日

事務局通信~人として生きる

朝から雨が降り、気温も14.6度までしか上がらず、肌寒いです。
そのせいか秋冬物の衣料品を探しに来られるお客様もポツポツと来られています。
昨日の午後、香川県でチャリティショップを運営しているセカンドハンドの創設者で現在は吉野川市のNGOで理事をされているNさんが、当会の活動に参加して下さいました。いろいろなご提案もして下さり、本当に有難いことです。

徳島では新型コロナウィルス検査で陽性と判明される方がゼロの日が続き、入院・入所されている患者の方もゼロとなっていましたが、昨日今日の検査で2週間ぶりに9人の方(徳島大学の学生さん)が陽性と判明されたようです。
一方東京都では235人の方が陽性と判明し、増減を繰り返しながら一定水準を保っている感があります。その東京都で新型コロナウィルスに関する罰則付きの条例案を、東京都議会に提出することが検討されているようです。
具体的には、以下の場合について、行政罰(5万円以下の過料)を科すという内容になっています。
(1)感染の疑いがある人が検査を拒否した場合
(2)療養中などの感染者が就業制限、外出自粛要請に反して他人に感染させた場合
(3)店舗などの事業者が、休業要請などに従わずに一定人数以上の感染者を出した場合

これらの「身勝手な」行動に対して罰則が必要かどうか、については賛否両論あると思いますが、悪しき前例とならないよう、慎重な議論が必要かと思います。
「身勝手な行動をとる人には罰を与えるべきだ」「皆が我慢しているのに、協力しているのに、我慢しない人、協力しない人は許せない」といった感情に支配されるままに話を進めるのは危険です。
(もちろん、明らかに他者の業務を妨害する意図をもって「私はコロナ陽性者です」といった発言をしたり、他者に唾を故意に吐きつけたりするようなケースについては、現行の法制度の中でも処罰の対象とすることが可能かと思います)

様々な方が言われているように、他人に感染させた(誰から感染したか)ということを科学的に厳密に立証することは不可能です。検査には偽陽性、偽陰性の可能性もゼロではなく、その結果をもって結果責任を問うとなると、感染拡大防止のためには多少の冤罪はやむを得ないという乱暴な話になりかねません。

また新型コロナウィルスの影響で収入減や失業に見舞われ、元の水準まで回復していない企業・個人も依然として多く、持続化給付金が多少の延命策にはなったものの新たな借金でつないでいるところもあり、今後倒産や失業がさらに増える可能性も否定できません。

自殺される方も増加の兆しを見せています。外出自粛に伴うリハビリの中断、医療福祉施設での面会制限、行き場の喪失によって孤独感が強まったり、認知症が進行したり、機能回復が遅れたり、といった問題もあります。
コロナウィルスの感染拡大さえ抑制できれば、他の問題はどうなってもよい、というわけではなく、トータルで考えていく必要があるでしょう。

新型コロナウィルスの流行によって社会が揺れ動く今、「生きる」ということの意味を私たち一人一人が問われているのかもしれません。ただ生きてさえいればよいのか、どう生きるかということは大した問題ではないのか、生きていくうえで大切なものや必要なものは何なのか、それは誰が決めることなのか。
守るべきは単なる「生命」ではなく「人として生きる」ということなのでは、と思う今日この頃です。

<<進む|戻る>>