「おおたか静流さん逝去の知らせ」通信 R4.9.9
「おおたか静流さんが昨日亡くなった・・」との知らせが9月6日夕方入りました。突然の事で、茫然とするなか、2011年3月16日に徳島市寺町般若院で行った「おおたか静流・東日本大震災チャリティーコンサート」が思い出されます。
般若院住職宮崎信也氏から「おおたか静流さんを呼んで、太陽と緑の会支援のチャリティーコンサートを本堂でやろうと思っているけど・・」そんな有難い言葉の後に、おおたか静流の名前は聞いたことがあるものの、その歌をイメージできない自分の情けなさが残りました。
おおたかさんの歌声の素晴らしさを実感する宮崎住職におんぶに抱っこで迎えた3月11日、東日本大震災が起こりました。急遽、太陽と緑の会から東日本大震災支援に方向を変え、3月16日を迎えました。
・・粉雪舞い散る夜空にも関わらず、お寺の廊下まで人で埋め尽くされ、熱気あふれるものでした。・・テレビ映像で展開される地震と津波と原発事故の惨状に、どうすることもできないもどかしさの中、各地でイベントの中止が伝えられました。「コンサートは中止せずに行おう・・」宮崎住職と私の気持ちでもありました。
おおたか静流さんの歌声は般若院の本尊を背に祈りと鎮魂にかわり、Keiju(中嶋恵樹)さんのギターと慧奏さんのピアノが、その鎮魂歌を徳島から東北の雪夜へ送り届けているようでした。皆さんからの入場カンパ190,666円と、おおたか静流さん提供のCD販売42,000円、あわせて232,666円は、仙台の難病ホスピス等を運営する(社福)ありのまま舎に送金しました。また大変有難いことに、おおたか静流さんから50,000円と、般若院の募金箱から59,083円を太陽と緑の会へのカンパとして頂戴いたしました。・・(機関紙146号コラム2011年10月)」
第2回目は10月25日、第3回目は2022年9月27日・・第10回目は2019年11月30日、10回に及ぶチャリティーコンサートは綿々と続きました。10回を区切りとして感謝状を渡して以来、直接お会いすることはありませんでした。新型コロナ禍でコンサートも出来ない状況は、おおたかさんにとって翼をもぎ取られる厳しいものだったでしょう。ご冥福を祈ります。有難う御座いました。惜別。合掌。(杉)