今、福祉を問う (1) 近藤文雄

強く推進するために

 社会福祉という言葉は人によって様々に受けとられ、中にはとんでもない誤解をされていることがある。それどころか、私利私欲のために福祉を喰い物にする恐ろしい人種さえもいる。
 社会福祉は、世界の全人口五十億、日本の人口一億二千万、すべての人々のためのものであって、特定の人間の利益に奉仕するものではない。その中でも、心身に障害のある者、病気の人、身寄りのない老人、貧困の人など、いわゆる社会の弱者の福祉を守るためには格別の援助が必要であり、健康で生活力のある人はその援助を与える側にまわることになる、というと、援助をする側は損をし、援助を受ける側は損をして、両者の利害は互に対立するように見えるが、そうではない。与える側に、損をするとか恵んでやるとかいう意識のある限り、また、受ける側に、少しでも多くの物を得ることを求めている限り、それは真の福祉とは云い難い。両者の間に利害損失、苦楽を共にする一体的関係が成立した時、はじめて真の福祉が実現したと云える。その一番典型的な姿は母親と赤子の間に見られるが同じ関係は、自身の間にも友人の間にも、究極的には全人類まで拡げることができる。一言で云えば、全人類が愛によって一つに結ばれる時、それが社会福祉の理想像である。
 とは云え、現実はこの理想から遥かかけ離れた所に止まっている。人間は、利己と利他、愛と憎、対立と一体の間を揺れ動いており、人により、時と場合によって激しく変動する。他人のために自分の命を捧げる人もあれば、自分の利益のためには他人を陥し入れ、弱者を踏みにじって顧みない者もある。このような、複雑怪奇な人間関係によって組立てられた社会に、理想的な福祉を実現することは至難の業と云わねばならぬ。
 しかし、もし、我々が、今よりほんの少し心に余裕を持ち、ほんの少し広い視野に立って他人を眺めることができれば、社会福祉は見違える程進展する可能性がある。私はそこに賭けたい。今日の日本の生活水準から見て、年に千円や二千円を他人の援助にまわしたり、月に一度くらい無償で奉仕しても、それによってその人の生活に支障を来すとは考えられない。他人に対する無関心が世人の心に定着し、他人のため、社会のために奉仕する喜びを知らないからである。こんな単純な障害を突破できない理由が、どこに、どんな形で存在するのか、これから一つずつ取り上げて爼上に載せてみたいと思う。
 もとより筆者の至らぬ考えであるから、不備、誤り、偏見、独断が多いであろう。願わくば読者諸賢の叱正を得てその反論、意見等をここに掲げ、本欄を社会福祉に関する討論の場とすることが出来れば望外の幸せである。

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