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徳島新聞「ぞめき」原稿   杉浦良
No.29 タイトル「働くことの意味」

 かれこれ二十五年前、ある知的障害者の施設長さんに、日中活動としての作業及び仕事についての質問を、生意気にもしたことがありました。
 そのとき「この子達には作業や仕事は無理です。私たちの仕事はこの子達を生命が尽きるまで寄り添って、見守ることです。」と、毅然とした口調で言われた記憶があります。「作業」「仕事」「労働」という言葉からのイメージが、その時々の時代背景を映し出し、このころは、働けない=駄目な人間という図式が一般的で、いろいろアプローチしても、作業にまで到達できにくい重度のハンディーを持った方々に、むしろ仕事は無理ですと語ることで、逆にその存在を肯定できる発言をされた、と受け取りました。
 ただそれにしても大人になるためには、どんなにハンディーが重くとも何らかの作業や労働がどうしても必要ではないか?それは、仕事や労働の意味を狭くとらえず、大人になるための大切な意味を備えている何かであると、勝手にこだわる自分がありました。
 働けない人の面倒見るために社会保障、社会福祉があるという図式と、そこまでして働きバチのように働き続けてそれが幸せなのか?といった現実があるわけですが、では何もせずに見守られて人生を過ごすのか?といった新たな疑問もわいてきます。
 ある雑誌に「仕事をすることによって自分は育ってきた。その点、精神障害者の人たちはほとんどの場合、若いときに発病し、そのあとは病院に入院したり家の中に閉じこもって生活をしているケースが多い。したがって本来は、学校を出、社会に出て、そこで良いことも時には悪いこともいろいろなことを学び、育っていくのに、彼らにはその機会がない。・・せっかくこの世に生まれてきたのに、障害者だからといって社会的経験を積まず、家の中で縮こまって過ごすのはもったいない」と、放送局を退職し精神障害者の働く場としての、ビル清掃を主な業務とする株式会社ストロークを立ち上げた、金子鮎子さん(七十一歳)の言葉が載っていました。
 ちょっと言葉を入れ替えてみると、さまざまなハンディーのある方々や、ニートと呼ばれる若者達にもフィットすることに気が付きました。なるほど五年前に第一回ヤマト福祉財団賞を受賞されたわけです。


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