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徳島新聞「ぞめき」原稿   杉浦良
No.57 「峠の地蔵」 二〇〇六年十一月十七日分

 先日、一冊の書籍が届きました。『峠の地蔵―京都北山に捧ぐ』(井垣章二著、ミネルヴァ書房)に添えられたあいさつ文に「私が生涯かけて愛したものの一つに、わがふるさとの山、京都北山がありました。どれだけの楽しみ感動を、そしてこの美しい世界に生まれ生きることの喜びを感じたことでしょうか。これをぬきにして私の人生を語ることはできません。ふるさとの山々よ、ありがとう。・・本書は、わが命いよいよ限りあることを知り急きょ出版したものです。」とありました。
 学生時代、右も左も分からず、いかんともし難いモヤモヤした不条理を、言葉に置き換えるだけの未熟さゆえに「君の言っていることは良く分らん?」と、辛抱強く付き合って下さったのが井垣先生でした。障害児の福祉現場でボランティアをさせてもらうことで、私の進路転換になったその先に、たまたまおられました。
 「君はなぜうちのゼミを選んだのかね?」「他のゼミをと思ったのですが、希望者がいっぱいで、ウロウロするうちに、ここしか空いてなかったんです・・・。工学部から替わってきたので、何が何やら分らんうちに・・。」そんな失礼な会話を交わしながら、先生の、女子学生が多い児童福祉のゼミを受ける運命となりました。
 この本のはしがきに、児童福祉施設白川学園の月間新聞『つくも』に、一九九二年六月から九十九年十二月まで、お地蔵さんの写真とともに掲載されたものをまとめたものであると、ありました。この頃はすでに徳島に居を構えていましたが、振り返れば、一九七三年からの京都白川学園の障害を持った子供たちと、そこで働く職員の方々との関わりが、私の進路変更のスタートラインになりました。
 子供を守る仏様がお地蔵さま、というくらいの認識しかなかった私ですが、地上の全ての生命を養ってくれる存在、正式には地蔵菩薩と呼ばれ、お釈迦さま亡き後、弥勒菩薩が悟りを開かれて法を説かれるまでの五十六億七千万年の間、様々な姿に変身して人々を救ってくれるのが、お地蔵さんの役目だそうです。
 その意味では、重度の知的ハンディーを持った子供たちの収容施設の新聞に、『峠の地蔵』と題して先生が書かれたもう一つの意味を、見つけた気がしました。(杉)


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