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徳島新聞「ぞめき」原稿   杉浦良
No.65 タイトル「遍路帰りの置き土産」

 三月二十日朝、京都ナンバーの八人乗りワンボックカーが徳島の障害者地域共同作業所にやってきました。車には知的障害児収容更生施設「白川学園」のメンバー四人と、職員二人が乗っていました。四国霊場八十八カ所参りの帰りです。
 八年前から毎年時間を工面しては歩き続け、現在六十六番札所まで到達しました。二十代と三十代の重度の知的ハンディを抱えたメンバーたちが職員と一緒に歩行トレーニングを続けながら挑戦しています。今までに歩いた距離約五百㌔、メンバーの調子が悪い時や時間的都合で車を使うこともありますが、なるべく自力で歩くことを前提としています。
 この八年間に十名ほどのメンバーや職員が、入れ代わり立ち代り歩き続けました。現在までの道のりすべてをクリアしたのはメンバー二人と計画した職員一人です。車に着替えや食料,お茶や寝袋まで積み込んでのデコボコ行脚は、苦しさもありますが、歩き終わった後の達成感につながります。
 お遍路さんの中には様々な障害や病気の回復を祈願し巡礼を続ける人たちの存在がありました。弘法大師空海の修行した足取りをたどるその姿と「動く重症児」とも呼ばれる彼らがどこか重なります。
 私には遍路のイメージとして、野村芳太郎監督の映画「砂の器」の海岸線を歩く親子の姿があります。重くのしかかった運命を背負ってひたすら歩き続けるハンセン病患者の父親と連れ添う子供を、雄大な天地が包み込みいつしか仏の道に誘い込む・・。
 そんな勝手な私の思い込みを尻目に彼らは黙々と歩き続けます。帰り際には「えらいわ!」「もう来ん!」などと言いながら、次の年に懲りずにまた参加するメンバーたちの横顔が、気のせいか少しずつ柔和になってきます。私が京都でボランティアとしてかかわったとき五歳だったFさんはもう三十八歳になりました。
 彼らが帰った後、作業所の一室に、どういうわけか大きなウンチが置かれていました。多分、四国遍路に参加したメンバーのうちの一人が、トイレに間に合わず、置き土産をする事になったのでしょう。
 遍路歩きで緊張が高まり疲労した便秘気味の一人が、思わず障害者地域共同作業所のアットホーム雰囲気にホッとして・・。というのが私の勝手な筋書きです。(杉)


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