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徳島新聞「ぞめき」原稿   杉浦良
No.98 タイトル「地の塩」

 八月二十九日、たまたまカーラジオから、ベラルーシ共和国の女性大使館員の声が聞こえてきました。「日本の皆さんありがとうございます。今でも支援していただき感謝しています」と、日本の非政府組織(NGO)の医療を中心とした支援活動への謝意でした。
 ベラルーシ共和国といえば、一九八六年四月二十六日に、当時ソビエト連邦のウクライナで起こった、チェルノブイリ原子力発電所爆発事故で、多量の放射能を浴びた国です。現在ウクライナ共和国となったチェルノブイリ原発爆発現場は、大量のコンクリートで封印されてはいますが、当時放射性物質の七十%が風で流され、隣のベラルーシ共和国に降り注ぎ、外で遊んでいた子供たちの三人に一人が、甲状腺ガンになったと言われています。
 日本からの支援が始まった当初の一九九一年、ソビエト連邦崩壊という歴史的背景もあり、ベラルーシは深刻な経済状態でした。白血病など病気の子供たちは十分な治療も受けられず、感染症で死んでいきました。日本のNGOが現地の医師らと支援プロジェクトを立ち上げました。そんな現実を一九九一年設立された日本チェルノブイリ連帯基金(医療活動を中心とした支援活動を行っている)を通して私は知りました。
 車のハンドルを握りながら、じんわりとうれしさがこみ上げてきました。多分それは国家間同士の支援というより、草の根民間レベルでの支援活動で、支援する側も支援される側もそれぞれの顔が見えやすい中での、細く長い支援活動だからでしょう。
 その三日前、アフガニスタンで拉致され殺害された、NGOペシャワール会の農業計画現地担当者だった伊藤和也さんのことが重なりました。
 「風土、嗜好の制約に逆らわず」と題して「芋の上にも三年、気温の変化に一喜一憂、農業計画に立ちはだかる牛、鳥そして人?、苦闘・試行錯誤が続くお茶の栽培、時間がかかるのが悩み」と四月一日発行のペシャワール会会報に、伊藤さんたちの書いた農業計画報告がありました。最後に「・・時間をかけ、苦闘・試行錯誤を続けてきた農業計画の活動の結果が、やっと現地の農家の手に届けられるようになりました。今後とも私たちの活動に対するご理解とご支援をお願いします。」と結ばれています。
 地の塩として生きられたことに、ただただ頭が下がります。合掌。(杉)


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