投稿日:2024年06月28日

事務局通信~気がつけば30年

 今から30年前、日本青年奉仕協会(JYVA)の夏のワークキャンプ事業(徳島)に参加したことがきっかけで、現代表の杉浦に出会い、太陽と緑の会の「人も物も活かされる街づくり」の活動に関わらせて頂くようになりました。

ダイバーシティという言葉がまだ使われることのなかった時代、様々なハンディ(3障害)を持ったメンバー、ユニークな経歴を持つボランティアやスタッフ、品物の提供やリユース品の利用という形で活動を利用されている、様々な国籍や幅広い年齢層の市民の皆様(中には仕入目的の古着屋・古物業者の方、万引き・転売目的の方まで)、こういった多種多様な人たちが混然一体となって織りなす空間は、大学を卒業したばかりの私が漠然と抱いていた「障がい者福祉」のイメージを覆すものでした。

「公的資金になるべく軸足を置かない」活動のため、運営的には大変厳しい状況でした。市役所の仮庁舎として4年半使用されていたものを移築してリユースしたというプレハブ2階建ての建物にエアコンはなく、夏は天然のサウナと化し、冬は屋外同然の寒さでした。法人格を持たない任意団体で、「職員に社会保険もないのか」とハローワークで嘲笑され(職員3名の任意適用事業所でした)、業者さんにお願いするだけのお金がないから自分たちでやり、新品の備品を買えないのでリユース品を修理して使う、年間300日の活動は今日のような「働き方改革」の世界とは真逆の世界でした。

その後、太陽と緑の会に隣接する工場の火災による類焼被害、消費税の導入、家電リサイクル法の施行、焼却炉に対するダイオキシン規制、事務局・作業所兼店舗建物(プレハブ2階建て)の火災による全焼、障害者自立支援法の施行(その後障害者総合支援法へ)、そして新型コロナ禍と、様々な荒波にもまれながらも、公的資金に軸足を置くことなく「人も物も活かされる街づくり」の活動を持続することができたのは、社会からまだまだ必要として頂けている、ということなのかもしれません。

メインストリームの活動をやりたいという方はたくさんおられます。障がい者福祉の世界でも公的資金をフル活用した「割に合う」事業には株式会社などの営利法人が続々と参入し、全国にフランチャイズ展開、ビジネス展開する事業所まで出てきました。割に合わなくなったときには一斉に撤退していく可能性も否定できませんが…。

 市民活動団体は団体の存続自体が事業の目的になってはならないと思います。ミッションに合わないことでも団体の存続のために引き受けるようになり、いつしか事業もミッションも変質していくからです。ミッションが社会から必要とされている限りは、雑草のように地道にしぶとく続けていきたいと思っています。
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