今、福祉を問う (2) 近藤文雄

福祉は心の問題

 社会福祉というと、まず連想するのは社会福祉制度のことである。諸々の制度や施設年金、手当、療育の給付など日本の福祉制度は世界の第一級といってよい。英国の福祉制度は、揺籠から墓場まで、と称えられてきたが、それが次第に窮屈になってきたとか予算編成の時期になると福祉切り捨てという言葉が聞かれるようになる。それらの話はどうも、物が中心になっていて、支給する物が増えれば福祉が向上し、物が減れば福祉が低下するように聞こえるし事実その通りに理解している人も少なくない。
 しかし、福祉の中心は心であって、サービスをする側も受ける側も、福祉の心があってそれに物が伴うのである。その心がなくて、体面上外国の真似をするのであれば、物がいかに豊かであっても、福祉の中身はお粗末と云わねばならない。近頃出来る新しい施設は戦前間もない頃のものに比べると、まるで金殿玉楼のように立派である。しかしそれだけ福祉の内容も高まったとは必ずしも云えない。それに反し、極貧のバングラデッシュで活躍するマザーテレサの創り出した福祉は質的に極めて高いと云えよう。
 行政は乏しい財源の中で苦しい運営をしているが、福祉制度や施設を作る努力、つまり、それを生かして運営する制度や施設を作る努力に比べて、それを生かして運営するための努力、つまり、福祉の心を育てる努力が不足しているのではあるまいか。心の問題は物に比べて格段にむつかしいが、だからといってその方の手を抜くのは福祉の一番肝心な所を放置していることになる。折角作った施設が、安易な人事や臭い物に蓋をする事なかれ主義のために十分生かされないばかりか、その機能が失われている例すらある。それは形ばかりに捉われて、中身を忘れた態度であって、責任者のセンスが問われよう。
 直接対象者の世話をする職員の責任は重大である。莫大な費用をかけて建設し運営する施設や制度を、生かすも殺すも職員の心構え一つにかかっている。高い理想を掲げてこの道に入った人も、年とともに福祉への熱情が薄れ、自己中心の安易なやり方に惰してしまうのは人間の弱さである。また、そのような気持はなくても、長年自分たちのやってきたことが唯一の正しいやり方と信じて、現実に対する反省やフィードバックをしない人は、いずれ疎外される他はない。初心忘るべからず職員は常に福祉の原点に立ち返って考える習慣を身につけねばならない。その点、上に立つ者ほど責任は大きい。
 しかし、福祉で一番肝心なのはサービスを受ける老人の心構えである。人間の幸せは他人によって決まるものではなく、自分自身が人間としてどこまで成長したかによって決まるからである。物をもらうこと、人から親切にして貰うことを福祉と考えている限り、その人は真に幸せになることはできない。それらのことを逐次考えてみよう。(近藤整形外科病院長、徳島市富田浜二丁目)

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