オリエンテーリング [U]
それでは人間として成長するとはどういうことであろうか。人間は生まれた時は、肉体的にも精神的にも極めて非力であるが、長ずるにしたがって体は大きくたくましくなり、精神的には万物の霊長と云われる程偉大なものに発展する。
それでは精神的成長の内容はどういうものか。これが第四のポイントである。
人間の精神の働きは通常知情意の三つの方面に分けて考えられる。
まず知であるが、知には二つの種類がある。一つは単なる知識であるが、もう一つはそれらの知識を使いこなす英知といわれるものである。二つとも大切であるが、人間にとって一番大切なものは後者だろう。ただの知識をいっぱい詰め込んだ人は道具としては大変大変役に立つが、それだけでは人間として真の偉大さは、その上に、高い理想を持ち、その実現にたゆまない努力をする所にある。
知識は人間の幸せのために利用しなければならないが、知識は使い方を誤まれば不幸の原因となる。原子力はそのよい例である。したがって、知識を正しく使うためには英知が必要である。
人間とは何か。世界とは、幸せとは、幸せを実現するためにはどうすればよいか、といった基本的な問題を考え、それに正しい答えを出すのが英知である。
しかし、知においていくら優れていても、情において鉄のように冷たい人間では我々は満足できない。人生の喜びも悲しみも知り、優しい思いやりに溢れた温かい心の持主に我々は強く惹かれる。金銭や自分の利益には敏感であるが、他人の苦しみや悲しみには無感覚で、美しい風物や芸術に心の動かぬ人はまた人間としては欠陥品といわねばならぬ。
ところで、知も情も優れているが、実行力のない人は誠に頼りない。弱い者、虐げられた人を見ては心から同情はするが何の行動も起こせない人、どうすればよいか知っているが、評論家のように口先で理屈をこねているだけで指一本動かさない人は、何か大切な筋が一本欠けているとしか思えない。その欠けたものとは実行力であり意志の力である。
したがって、知と情の上に強い実行力、意が加わらなければ完全とは云えない。
知情意の三つを見事に兼ね備えた人はいくらもいる。弘法大師もその一人であり、アインシュタインや湯川博士もその中に数えられよう。大師の大いなる知、衆生救済の無辺の慈悲とたゆまない活動の生涯、両博士の学問的偉大さに加えて人間味と世界平和への関心と実践は人間の在り方の一つの典型であるといってよかろう。
知情意は決して別々のものではなく、本来一つの心である。それを分析的に考えるために三つに分けてみたまでである。この知情意が調和ある発展を遂げた人が理想的な人格といえるだろう。
私は初めに、幸せになるために、人間的に成長しなければならない、と云ったが、ここに至って、その目標を変更しなければならなくなった。人間にとって最終の目標は幸せになることではなくて、人間的に成長して自己を実現することである。人間的に成長すれば、結果として幸せになれるが、自己実現することの方が常識的な幸せより一段高い目標である。
このことが第四のポイントである。
(近藤整形外科病院長、徳島市富田浜二丁目)
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