徳島新聞「ぞめき」原稿 杉浦良
No.26 タイトル「障害者白書」
先月七日に、政府は平成一七年版障害者白書を出しました。「国民の五%は何らかの障害を有している」という現実にもかかわらず全体の理解が進んでいないと指摘しています。
身体、知的、精神障害者は約六百五十六万人で、前回と比べ約九十三万人増え、今後さらに増加が予想されるというものです。全人口の五%の方は何らかのハンディーを持っており、小中学校の普通クラスには発達障害の可能性のある生徒が、約六%在籍しているわけです。ただこの数字は先進諸外国の約十~二十%と比べると非常に少ない数字です。これは日本にハンディーのある方が特に少ないという事ではなく、認定基準の違いによるものです。
ただ何らかのハンディーを持ちながらも、障害者手帳を持つことをためらわれている方々の存在もあります。障害者手帳を持つことで、その歴史が持つ偏見を背負ってしまうことへのためらいも感じさせられます。そしてその底には、なるべくなら五体満足で、頭脳明晰、スポーツ万能、背も高く、美男美女で・・・と願う気持ちだけでなく、優秀、有能な民族としてのプライドやナショナリズムへの憧憬も入り込む場合があります。
しかしちょっと振り返り、歴史をもう一度確かめ、目を凝らして現実を良く見ると、五体不満足、頭脳不明晰、スポーツ苦手で背も低く・・・醜男醜女が入り混じることで、人間の歩く方向が正されている現実に、ふとあるとき気付かされます。
牧口一二さん(グラフィックデザイナー。「松葉づえで得た人生」について千七百を超える学校で講演されている)が「障害者は雨に似ている」と書かれた事を思い出しました。「多すぎれば洪水や山崩れを引き起こすが、少なすぎれば生物が生きられない。」
こんな注釈を付けられたその洞察に感服しつつ「いくら建築木材として杉の木が良くても、杉ばっかり植えられた山がいかに弱いか。間伐など、こまめな手入れが行き届いてこそ、ようやく成り立つんよ。自然林は建築木材を切り出すには不適当だが、山としての力は一番じゃ。」と誰かが言っておられた言葉とリンクしました。
|