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徳島新聞「ぞめき」原稿   杉浦良
No.61 タイトル「ひねくれた見方のすすめ」

 一年ほど前、姉歯元建築士の耐震強度偽装事件で世の中がてんやわんやしていたころ、あの「バカの壁」で有名な東大名誉教授養老猛司さんの書かれた文章を新聞で見つけました。「コストかかるマコト」というタイトルで、今でも後生大事に、切り抜いた新聞を保管しています。
 「・・私が提起している問題は、じつは社会全体のコストという観点である。テロ対策のコストは、どこからテロの被害を甘受するより高くなるのか。病人を至れり尽くせりで看病するとしよう。高齢化が進んで、病人がどんどん増える。あまり丁寧に看護すると、世の中は病人と看護人だけになる。じゃあだれが病人と看護人の食料を生産するのか。社会が複雑になり、グローバル化する。そうなると、ものを単純に考えることができない。でも複雑なことを考えるのは面倒くさい。自分の損得なら、具体的でわかりやすい。だからこういう時代には、自分勝手が増える。・・」と書かれています。ひざをたたいてうなずく私と、この時期にこう書いた、養老氏の勇気を敬服する私がいます。
 「・・地震はめったに起こらない。それなら姉歯物件がかならず倒壊するという保証はない。地震が起こらないうちに、『無事に』役目を終えて、建物が取り壊される。・・被害者もまた、暗黙にそれに近い想定をしたからこそ、比較的に『安価な』物件を買ったということはないのだろうか。・・」こんな考え方に対して「不正はどんな事があっても暴くのが正義だ。テロの被害者のことを考えれば、このくらいの不自由さは仕方ない。病人には至れり尽くせりの看病をするのが当然だ。地震が起これば壊れる建物をそのままにすることがおかしい」といった正論が、大手を振って鎮座します。
 口ごもり、たじろぎながらも、ちょと待って、冷静に考えると、その単純な発想の裏側に、養老氏の指摘するひねくれた見方が、息をひそめて隠れています。彼自身、今の世の中ではかなりひねくれていたほうがいいのでは、と書いておられますが、一年たった今、私は益々その思いが強くなる今日このごろです。(杉)


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