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徳島新聞「ぞめき」原稿   杉浦良
No.114 タイトル「人薬」

 さだまさしさんの歌ではありませんが、運がいいとか悪いとかいう人生があるとすれば、誰だって運のいい人生を送りたいものです。
 「美人に生まれたかった」「学校の成績が良かったら」「スポーツ万能の体が欲しい」「音楽のセンスがあれば」と願望は一人歩きします。しかしそうはいかないのが生きることの不条理というものでしょう。いつしか、そこそこのところで手を打つことになり「五体満足であれば」「健康であれば」「頭がしっかりしていれば」と生きる基本に立ち返るわけです。
 ただそこに行き着けない大変なつらさを、さまざまなハンディ(身体・知的・精神領域)を持つこととなった本人と、それを取り巻く方々の人間模様を拝見させていただくことで、随分感じさせてもらいました。
 生老病死は人間の避けられないテーマで、瀬戸内寂聴さんに登場していただくまでもなく、誰もがくぐらなければならない人生の関門です。順風満帆な人生など最初からないとする理由がそこにあります。ただ生老病死の間にもう一つ、さまざまなハンディを持つこととなったとき、人生は別の見え方としてそこに現れます。
 「子どもが障がいを持つと、親も障がいを持つのよ・・。いろんなつらいことがあると、普通に世の中が見えんようになってしまって・・。親のゆうこと気にせんといてね・・」。そう三十年も前に言われた言葉の意味が年とともに心に響きます。
 先天性四肢切断の乙武洋匡さんが、著書「五体不満足」の冒頭で書いたように、初めから母親に「かわいい」と受け入れられるケースは、私が知る限りまれです。
 「うちの子に限って・・」とネガティブになる気持ちを奮い立たせ「私が死ぬ三日前にこの子も死んでくれたら・・」と心でつぶやきながら、孤軍奮闘される姿に、私の中の価値観も大きく揺さぶられることになりました。そしてその中の幾人から仏さんや神さんに近いものを見させてもらった経験は、しょせん人間なんてとくくりたくなるニヒリズムから、少しだけ私を解放してくれる妙薬となりました。化学物質からなる普通の薬と違い、「人薬」とでも呼べるありがたい薬です。なかなか見つけ難いですが、一度服薬すると病みつきになります。
 「人薬」依存症の戯れ言も、五年続けると迷惑になります。お付き合いくださった皆さまに多謝。(杉)


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