投稿日:2018年06月24日

代表通信〜城満寺 大槻和尚ご逝去


「穏やかなる大槻和尚に合掌」通信 H30.6.24

昨日夕方、電報が届きました。
「オオツキテツヤ キトク タイインシテテラニイマス ジョウマンジ」
徳島から海部まで距離にして約90キロ。一般道なので、今から出向くと午前様の帰宅。「しばらくは持ちそう・・」と電話で確認をさせていただき、今日の出発にしました。
「残念ながら今朝7時過ぎに・・」
臨終に5時間ほど遅れること、大槻哲哉和尚に対面できました。

四国で一番古い禅寺・城満寺を復興せよと、39歳で命を受け、曹洞宗1万数千寺を20年かけて2度周って、復興資金を集めたツワモノ和尚です。
「雨漏りする庵に着き、畳も腐って横になるところがないので、しばらくは座ったまま眠った・・。1万円の寄付を貰うのも大変だが、旅費に金を掛けられないのでヒッチハイクしたり、軒下を借りて野宿したり、托鉢で食べ物を調達した。スーパーで魚のアラなど貰って・・、時々腹を下すが・・、生きてはいけるものだ・・。」

11年前に脚立から落ちて意識不明に。心肺停止を何度も繰り返しながらも奇蹟と思える復活を遂げられましたが、最後は本堂が見える部屋で88年の生涯を閉じられました。檀家を持たず妻帯もせず、ひたすら禅や仏の道を究める姿に、太陽と緑の会創立者近藤文雄や森下元晴先生はじめ多くの方々が惚れ込み、何もなかった丘には、本堂、座禅堂、山門、東司や茶室までが完成しました。

あとを引き継いだ田村航也和尚も39歳。徳島入りした大槻和尚と何故か歳が重なりました。下から見上げた本堂の凛々しさは「世界に誇れる日本の建築」と確かに感じさせてくれます。(杉)
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