今、福祉を問う (10) 近藤文雄

障害者を守る喜び

 施設長に対し、前回は随分きついことを要請したが、あの要件を百%満たす人はまずないであろう。出来ないことを要求するとは理屈に合わぬ話であるが、それを教えとしたのは、基本的な考え方や目標をはっきさせたいためであった。目標はできるだけ高く遠い方がよい。北極星のようなものを目標にすれば地球上どこでも迷うことはないが、近くの山や灯台を目標にすれば、それは限られた範囲でしか役に立たない。我々は日常、つい目先のことに惑わされて障害者のためにという最終最高の目標を見失いがちであるから、特に取り上げたまでである。
 現実の問題として、あの目標を百%達成できる人はいないにしても、その理想に向かって着実に業績をあげている人は確かに存在する。方向さえ間違わなければ、歩みはおそくとも確実に前進することが出来るからである。それに次に述べる問題の突破口が開けると私は思っている。
 施設は障害者のためにある。障害者の幸せを守るのが施設職員の任務である。などいう明々白々の道理を今いくら述べたてても仕方があるまい。そんな道理は六歳の童子でも知っているが、それを実行することは七十歳の老人にもむつかしい、ということである。我々は日頃建前と本音を区別して使い分けることに馴れて良心もそれをとがめることを忘れている。そして、その問題に注目し、それを解決しようなど、とても出来るものでないと初めからあきらめている、のである。
 まずその敗北主義を打ち破ることから始めよう。他人に対してそれを求めても無理であるが、自分自身なら、その気になればある程度は実行できるはずである。百%は無理にしても、五%や十%ならできよう。そこに小さいながらも突破口を開く可能性はある。狭い個人の世界が開けないから、ひとつすばらしいサンプルをお目にかけよう。
 昭和二十四、五年の頃だったと思うが、東大の有名な大脳生理学者の時実教授が、まだ若い講師として研究に没頭していた。粗末な木のベッドを研究室に持ちこみ、コッペパンをかじり水道水を飲んで昼夜の別なく研究に打ちこんでいた。孔子が、一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人その憂に堪えず、回やその楽を改めず、と感嘆した顔回を思わせるような生活ぶりである。先生は無理をしていたのではない。ひたすら真理を求める熱情に従って自由に振舞っていたのである。我々と対象は異るが、障害者を守るというひたむきな心さえあれば、そこに最高の喜びを見出すことができるであろう。
 同じ教室の橋田邦彦名誉教授は、著名な生理学者であると同時に仏教にも造詣の深い哲学者であった。正法眼蔵の注釈を書き、生理学の弟子にもそれを講じていた。先生は科学を超えた宗教哲学の世界にまで弟子を導かれたのであった。障害者を守るという崇高な任務を与えられている我々も、その世界とは無縁ではない。こんな偉大な生き方があるのに、仕事は生活のため仕方なくやるが、私の生き甲斐はレジャーにあるなどいう人を見ると、私は気の毒でならない。(近藤整形外科病院長、徳島市富田浜二丁目)

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