今、福祉を問う (11) 近藤文雄

施設職員の心構え

 施設職員の理想的な姿は、障害者に尽す行為の中に自己の喜びを見出し、それが彼の幸せや生き甲斐となり、したがって、それが彼の最大の報酬となる所にある。それは頭で考えて分かるのではなく、長い困難な実践の中で徐々に培われるものである。そこには多くの重要な問題があるが、今日は取敢えず実践に当って職員の留意すべきいくつかの問題点を列記してみたい。
 障害者に対する基本的態度は人格の平等ということである。知的に、あるいは具体的に、能力がいかに低くとも人格においてはすべてはここから出発する。障害者を見下す心が少しでもある限り、その人は初めから誤っている。能力と人格の区別を知らないのである。そのことが理屈として分かるのではなく心の底からいわば全人的に体得しなければ十分とは云えない。障害者の命やその生涯と全く同様にかけがえのない貴重なものである。その自覚を根底に持たねばならない。
 人格を平等と認めるなら、彼らの人権も職員の人権同様に尊重しなければならぬ。人権で一番基本的なものは自由であり、中でも自己実現の自由を優先すべきであろう。それには彼らの自主性、自発性を尊重しそれを伸ばすことが第一である。知恵おくれだから考える能力はない。何もかも指導員が予め考えた通りにやらせるのが最も能率的である、と考えては大きな誤りを冒すことになる。つまり、予め作った型の中に彼らをおしこもうと考えてはならないのである。彼らにも彼らなりの自主性と主張がある。それを見つけ出し、その線に沿って発展させることが必要である。それは確かに大変な労力と時間を必要とすることである。仕事は能率的にしなければならないが、浮いた労力はここぞと思う所に惜しみなく注ぎ込まねば意味はない。教育には手間を惜しんではならない。結局同じことをしても、お仕着せと自発的にやったのでは眼を見はる程の差が出ることを知れば、苦労は十分に報われるであろう。
 一人一人の能力を引き出すには創意工夫がいる。各人の性格や能力は異い、成長とともに変化するから、十年一日のような日課で対応できるはずはない。常に細心の注意を払って彼らの実態を観察し、その結果を直ちに仕事の上にフィードバックしなければならぬ。今までこうやって来たのだからこれが最上である、という独善の上に築いたマンネリズムをはびこらせてはならない。進歩は自己否定から始まることを銘記すべきである。
 指導員が子どもから教えられることは多い。職員自身の自己実現は彼らとの交流の間にも実現されていく。その意味では共に生きる、という表現は当たっている。また、一見鈍感そうな子がガラス細工のように繊細な神経を持っていることを見落としてはならない。不用意な言動が思いもかけぬ深いダメージを子どもに与えかねないからである。
 指導、作業、生活などは便宜上区別しているが本来一つのものである。そしてそこで一番の要点は、その子にとって何が一番大切であるか、ということを全人的立場から判断し、そこに重点をおいて指導すべきである。枝葉未節に力を入れて、その子の持つすばらしい芽を潰すのは一番恐ろしいことである。作業の成績は生産品の出来高で計るのではなく、彼らの満足度を物差しとすべきである。
(近藤整形外科病院長、徳島市富田浜二丁目)

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