今、福祉を問う (27) 近藤文雄

福祉の条件

 政治の唯一最高の目的は国民の福祉である、と先に述べたが、その福祉の網の目からはただ一人の国民も洩らしてはならない。特に、社会の弱者に対しては、細心の配慮をするのが心ある為政者の心構えである。
 民主社会にあっては、政治の主権は国民にある。したがって、国民の幸せを守る責任は国民自身にあることを忘れてはならない。福祉は政府がやるもので自分には関係がないと思っている人があれば、その人は自ら主権を放棄したもので国政に参与する資格はない。その点については障害者も同じである。障害者はいつも福祉の恩恵をうける側ばかりにいると思ってはならない。障害者も国民の一人として、同時に与える側にも立っている。積極的に福祉に貢献してはじめて対等の社会人と云うことができる。
 福祉は社会全体を守っていくべきものである。社会人や政府、施設の職員、親などの在り方についてはそれぞれのことを一応述べてきたので、これから福祉サービスをうける当人の姿勢について考えてみたい。
 幸せは与えられて得られるものではない。物を与えられれば自分のものとなるが、物を得たから幸せになるとは限らない。受ける側の正しい心構えができて始めて幸せになれるのである。年金を貰い、ヘルパーの派遣など種々の恩恵をうけながら不平ばかり云っている人間は、自分の方の条件が整っていないために幸せになれない、と知るべきである。他に求めるばかりで、足ることを知らず、感謝することを知らずぬ人間は永久に幸せを手にすることはできない。
 反対に、当人の心構えさえよければ、与えられた条件が不十分でも幸せは得られる。筋ジストロフィーのような最悪の条件の下におかれた人でさえ、私は幸せだと云い切っている人がいることを見てもそれがわかる。
 と云って、貧しい条件で我慢せよ、というのでは決してない。サービスをする側は最大限の努力をし、受ける側は有難く感謝して受けるという関係が成り立ってはじめて幸せは実現するものある。
 人間の欲望は限りなく増大する。何につけ今までよりよくなれば当座は満足し喜ぶがその喜びはいつとはなくしぼんで元の水準に返ってしまう。したがって、新しい喜びをつくるには、もう一段高いサービスをしなければならない。そんなことをくり返していけばいつかは限界に達してそれ以上進めなくなることは明らかである。それを避けるにはどうすればよいか。
 その方法には二つある。一つは絶えず低い水準に欲求を保つことであり、足ることや感謝することを知ることである。もう一つは、出来るだけ低い水準からスタートして緩やかな上昇を続けることである。その点、我々戦前に生まれたものは極く低い水準から出発したから、常に昔を思い出すことによって現在の水準で十分満足が得られる。それに対し、戦後の豊かな時代に生まれた人々は、基準となる水準が高いために、満足を得ることはむずかしい。それだけ幸せが薄いと云えそうである。
 欲望を抑えるだけが能でない。欲は多いほどよいものもある。それは真、善、美を求める心である。この欲求を満たすために、他の欲求をほどほどに抑えるのが幸せへの道である。
(近藤整形外科病院長、徳島市富田浜二丁目)

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