今、福祉を問う (32) 近藤文雄

理想とは・・・

 本能的欲求は人間も動物も等しく持っている。本能は、もしそれがなかったら生命を維持することが出来ないくらい大切なものである。しかし人間はその上に、動物にはない理想というものを持っている。理想とは、精神的な目標というか、観念的な欲求である。
 例えば、一般市民なら地位や財産を築き、楽しいマイホームを作り、他人から尊敬されたいと思い、実業家なら事業を拡大したい、学者なら新しい発見をしたい、政治家なら権力を拡大したい・・・といった具合いである。これらも実生活の上では重要な意義を持っており、もし、我々からこの理想が奪われてしまった後には、殆ど人間らしいものは何も残らないことに気づくであろう。我々は理想という夢の中に生きているのである。それ程、理想は人間にとって大切なものである。
 理想にも大小、高下様々な種類がある。そして、それらが互いに対立し、強調することは他の欲求と変わることはない。したがって、混乱を避けるためには、それらの理想を整理して、その重要さの順に並べてみる必要がある。
 一般に、本能や物欲などは低俗な欲望とされているが、本能は自然から与えられたもので、それ自体には上等も下等もない。ただ、その欲求を如何なる状況の下で、いかなる手段によって実現するか、その行為の中に善悪美醜の区別が生まれるのである。
 本能は生きるためには最低限満たさねばならないが、適度に満たした後はその欲求は自然に消滅する。いくら喉が乾いていても、腹いっぱい水を飲めばそれ以上欲しくないように。
 財産もある程度なければ生活に困るが、必要最低限あれば、それ以上の財産は余り重要でない。ところが、物欲・名誉欲・権勢欲などは、その欲求が満たされると更にその上を欲しがって限りなくエスカレートする傾向がある。この際限もなく膨れ上がっていく欲求を満足させようと、人を欺き、苦しめ、自らの人格まで傷つけて、他のもっと高尚な人生の理想のあることに気づかないとしたら、それは本末顛倒も甚だしい愚かさと云わねばならぬ。無知な幼児なら金貨を捨て、銅貨を選ぶこともあろうが、大の男が、それも社会の重要な地位にある人間が、金貨に勝る高尚な理想を持たず、銅貨にも劣る屑をあさるとは呆れはてた光景である。
 したがって、いたずらに低俗な理想を抑圧することがよいのではなく、その高い理想に向って飽くなき執念を燃やすことが肝心である。人生最高の理想の前には、低位の理想はいくら放棄しても当然すぎることである。それが出来ないのは諸々の理想のランキングが確立していないためである。世の中に生命より大切なものはない、というが、時には命を捨てても守らなければならない高貴な理想のあることを忘れてはならない。
 それでは、諸々の理想をどのように整理すればよいか。それは云うまでもなく価値の高いものから低いものの順に並べることである。その価値の高下を決める基準は何か。それは真・善・美という価値のものさしである。それぞれの理想が、真善美の規格にどこまで妥当するかによって理想の席順は決まるのである。
(近藤整形外科病院長、徳島市富田浜二丁目)

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