太陽と緑の会リサイクルというところは、ちょっとアブナイところのようです。こんなふうに書くと、本当に危ないところと誤解されてしまいそうなので、もう少し正確に言えば、訳の分からない、どう考えていいのかつかみにくく、得体の知れないところと言い換えれば、ピンとくるように思えます。
 ある時は福祉共働作業所、またある時はリサイクル屋さん、そうかと思えば社会福祉支援団体と、まるで怪人二十面相のようにクルクルと変身します。ごまかしているようで、何か、後ろ髪でも引かれるような思いになる時があります。
 「この筋一筋三十年」「艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて、鍛え続けたこの技を・・・」「私は福祉、これ一本に自分の人生をささげてきました」。こういったキャッチフレーズは、どうも日本人に心地よく、いつの間にか取りつかれてしまいます。
 同じように「ピュア」「純血」「純白」といった言葉の感覚も、何となく気持ちが良く、すがすがしくしてくれそうな気持ちになります。

 「リサイクルショップですか」「はい。こちらは太陽と緑の会リサイクルです」「あの、タンスとかテレビとか、いろいろあるんですが・・・」「回収のご依頼ですね」「いや、買い取ってもらいたいんです」「申し訳ありません。買い取りはやっていないんですが・・・。」
 「もしもし、処分してほしい家具があるんだけど」「リサイクルが可能なものでしたら、回収にうかがいます」「シートを交換すれば何とかなると思うけど・・・、お金出すから処分してくれへん?」「処分料をもらって、処分はしていないんですが」
 この辺りの兼ね合いが本当に難しい。買い取りを前提にしたリサイクル業者、処分を前提にした廃棄物処理業者がありますが、私たちはどっちつかずで迷惑をお掛けすることも多いようです。

 「これ売ってくれんの」。回収した家電製品を指差し、値段を聞かれます。「これはまだ、テストも修理もできていないんですが」「いける物をタダでもらってくる、いい商売と違うん?」「・・それが本当なら、立派なリサイクルビルが建ちますね」
 「このビデオ、あげるわ」「どうもありがとうございます。では持ち込みカードにお名前を」「実はこれちょっと調子が悪いんや。もし修理できたら連絡くれへんやろか。そのときは買い戻したいんや」「それなら電気屋さんで修理してもらったらどうですか」「それが高いから、ここに持ってきとるんやないか」。私たちの活動を伝えることの難しさを、本当にひしひしと感じます。

 「福祉共働作業所というと、ここの職員は公務員かいな」「いや、無認可の小規模通所作業所ということで、ほんまに大変で・・・。運営費の一割ほどは助成金として補助していただいています」「ほんなら普通の店かいな」「いや、店ならたくさんもうかれば、社長だったら自分の収入になります。しかし、ここは固定給で、零細企業並みの責任だけ背負って、なんぼ頑張っても見返りは期待できません」「ほんならばかばかしいて、頑張って仕事なんかできんのとちゃうか?何でこんな自分のためにならんこと、やっとるの」
 もうこうなると、説明のしようがないというか、説明が説明を生み出すアリ地獄となります。
 戦後五十年を経済復興にかけて、まい進できた古き良き日本も、もう曲がってしまって、方向すら見いだしにくくなりつつあります。訳が分からず、どう考えていいのかつかみにくいところは、私たちのところと一緒です。これまでの価値観がほころび始めています。先を見通す次の価値観が必要なころかもしれません。(徳島市入田町月の宮)
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