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No.4 「感性発見器」   杉浦 良

 その筋の専門家と呼ばれる方がおられます。その道を極めることはかんなん艱難しんく辛苦を乗り越えるだけでなく、人格的にも優れていなければならない狭き門でありあこがれの門でもあります。
 福祉の分野でも最近、専門家と呼ばれる方々が増えてきました。社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士、臨床心理士など、ここ十年でたくさんの資格が増えました。私が学生のころはせいぜい教員資格か社会教育主事任用資格程度で、あとはそれぞれ自分の中で一生かけて深めていくべきものであると考えておりました。
 学問的アプローチは当然のこととして必要ですし、日々日常の勉強は要求されるわけですが、いまだに違和感が私の中でから払しょくされません。多分「福祉」というテーマに「専門家」というカテゴリーがフィットしないと感じており、「福祉」はむしろ地域や住民がかかわり、その解決の糸口を見つけ出す作業であったはずで、決して難解な特殊技術が必要であるとは考えていないからです。   
 むしろ「専門性」「専門家」とカッコをつけ専門化することで、地域やそこの住民が失ってしまう大切なものこそ「福祉」が扱わなければならないテーマであると考えます。 
 専門家に任せて安心したおかげで、気が付くと、それを解決する気力も能力も失われた地域や住民になってしまったとしたら、本来の「福祉」「ソーシャルウェルフェア」とは逆の方向に向いているのでは、思えてなりません。
 以前、徳島新聞で牧里教授(関学大)が地域福祉論の立場から「・・専門化によって、住民が積極的に福祉の問題を解決する目を奪っている」と述べられておられましたが、本来の福祉の専門家は、専門化せずに、まず地域に帰すことを考えて、積極的に福祉の問題を解決する芽を地域の中に育てることこそ一番の仕事である、と考える感性を持つ必要があるのではないでしょうか。
 「感性発見器」でもあれば、世界に誇れる福祉国家となるのでしょうが・・・。
二〇〇四年七月二十二日  (杉)


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