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徳島新聞「ぞめき」原稿   杉浦良
No.9 タイトル「いのち」

 数年前「ニワトリ育てて食べよう!」と秋田県の小学校で、農業高校からヒヨコをもらい育てた後、目の前で解体処理し、調理して食べる手はずだったが、一部の保護者からの匿名の反対で中止なった、という出来事がありました。総合学習を先取りして取り組まれたようで、「『残酷』保護者がストップ」という新聞記事が妙に生々しく今でも心に焼きついています。
 ニワトリを金網で囲って平飼いすると、オス、メスが半分ずつ生まれ、そのまま育てるとオスが多すぎてよくケンカをするようになります。当たり前のことですが、オスがいないとメスが暖めた卵からヒナが生まれないので、元気の良いオスを残して残りを間引かなくてはなりません。卵を採るために飼っている必要条件です。
 昼間めぼしをつけたオスを夜捕まえ、逆さに吊り下げおとなしくなった後、手で首の骨を折ります。完全に動かなくなった後、お湯に浸けて羽を取り、首を切り落として腹を割き、内臓を取り出します。関節に出刃包丁を入れて、モモ肉、ムネ肉、手羽などに分けます。肉を取り終えた骨は煮込んでスープをとります。
 こんな一連の作業を全国から集まった若いボランティア達に体験してもらうと、決まって最初は、お葬式のような沈うつした雰囲気になります。中には「イベントとして、あえてニワトリの命を無駄にする必要があるのか?」と異議申し立てをされる方もおられます。
 その意味では多くの命をかすめ取ることで成り立っている人類と、スーパーマーケットで売られているモモ肉と、今この手で握られているニワトリの首というつながりが断ち切れている「今日」があります。
 私が小さい頃、家で人が生まれそして死を迎えることは、それほど珍しいことではありませんでした。
 「生命」の大切さをどう教えるか、ということが叫ばれながら、その生命そのものが身近に感じられない今日。から揚げ、カレー、スープに変身したオンドリを、こんどはおいしいと言ってかぶりつく彼らの後姿に、細いながらも解決の糸口が見えるような気がしました。(杉)


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