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徳島新聞「ぞめき」原稿   杉浦良
No.16 タイトル「田んぼと畑」

 先日、二十七、八年ぶりに、京都の山奥で自然農をしている知人に出会いました。かれこれ十七年、土を耕すことなく、農作物がある程度大きくなるまでは草は刈ってやるが農薬や化学肥料などは一切使わず、後は収穫まで見ているだけという、不耕起栽培の実践者です。
 一反ほどの田んぼでは米も作り、手で植えて手で刈り取り、天日で干して千把(せんば)こきで籾(もみ)を落とし、自分達の糞尿(ふんにょう)と風呂や煮炊きをした薪(まき)の灰を肥料として畑にやるという、日本古来の自給自足の生活を夫婦二人で営んでいます。このたび自然農をしている方たちの実践報告会が行われ、そのために徳島へ来られたのです。
 「不耕起栽培をされておられる方の中には、草は一切刈るな、糞尿や草木灰の肥料もやるな、何もしないことが一番だ、という方も結構いるんやけど、私らはそこまでのかたくなさはないなあ。必要以上の有機肥料はいらんけど、ある時期の有機肥料は農作物を大きくしっかりさせる。その土地、その田畑の状況でいろいろなやり方があっていいと思うな。むしろ都会育ちの若いもんの中に、まるで何かにとりつかれたようなかたくなさを感じるわ。」と語られました。
 「まあしっかりやんなはれ。しかしあんたたちのようなことはやれへん。昔のえらくて大変だった作業のことを思い出してな。」と村の人から言われながらも、高校の非常勤講師で稼ぐ現金収入と合わせての生活が、五十軒ほどの山間の集落で営まれています。
 五十二歳の彼が最年少で、気が付けば畑や田んぼを引き継ぐ後継者も無く、雪深い中山間地で、お年寄りが先祖伝来の田畑をやっとのことで耕し守っていく姿に、日本の「田舎」が重なります。
 「これほど一人ひとりが、育て方の一家言を持っているとは思わんかったわ。ほんまに頑固で人の言うことなんて聞けへん。自分の育て方が一番やと思うてるしな。共同で農業するなんて絶対でけへんし、農機具の共同所有なんて現実を知らん人が勝手に言っとるだけやな。」
 そんな風に語る彼ら二人も含めて、村のおじいちゃん、おばあちゃんがかろうじて守る先祖伝来の田んぼや畑をどうしたらいいのか、という重い問いを投げかけ問われている気がしてなりませんでした。


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