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徳島新聞「ぞめき」原稿   杉浦良
No.43 「姉歯問題」 二〇〇六年4月十一日分

 建築家の安藤忠雄さんが「姉歯耐震偽装問題について」といったテーマで話しているのを、たまたまテレビで見ました。
 「アメリカやヨーロッパで仕事をすることが多くなればなるほど、日本の建築に関わる方々は、素晴らしい腕とスピリットを持っていることに気付かされる。職人魂に支えられ、一人ひとりがそれぞれ、自分が関わった『総合建造物』だという誇りを、ちゃんと持っている。その意味では、耐震偽装問題は、お金がすべてになりつつある今の世の中で、建物もお金もうけの『道具=物』になりつつあるという象徴的な出来事だ。しかしそれはほんの一部の特異的な現象と考えたい」
 大変大ざっぱに私なりに解釈すると、論旨はこうなります。素人の私ですが、この一年余り計画から建物を建てる全プロセスを見させてもらう機会を得て、その論旨になるほどと納得させられました。
 小さな建物工事ですら、解体屋さん土木工事屋さん、鉄骨屋さん、大工さん、左官屋さん、屋根屋さん、水道工事屋さん、電気工事屋さん、浄化槽屋さん、クロス屋さん、サッシ屋さん、ペンキ屋さん、ガス屋さん、生コン屋さん、舗装工事屋さんなど、直接工事に関わる方だけでもすごい数です。そしてそこに建築家と設計事務と電気防火設計に関わる方々がいるわけです。
 総合責任者が依頼者の意向をくみ取り、それぞれの職人さんの予定を調整し、工事がうまく流れるように段取りを考え、総工事費を考慮しながら実際の工事にかかるその一連の仕事は、まるで人間の一生を垣間見ているようです。
 その事業をやり遂げるためには、人間の英知をすべて結集する力と、それぞれが仕事(細胞)として、一つたりとも欠けては成り立たないとする全体性が必要です。建造物が完成し、かかわった工事関係者の方々の思いとドラマがそこに込められることで、建物に命が吹き込まれます。
 「物」から別の存在に変異させる作業を、建築家および建築関係者は担っていて、それこそがお金とは別の働く根拠だと、あらためて感じさせられました。その意味で、姉歯事件は日本の世界に誇るスピリットの再発見だったわけです。(杉)


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