投稿日:2024年09月02日

第5回柳澤寿男ドキュメンタリー映画会

「第5回柳澤寿男ドキュメンタリー最終映画会」通信   R6.9.2
 8月25日(日)藍住町総合文化ホールにて「風とゆききし」1989年制作154分の上映会を行いました。午前の部、午後の部の2回上映で、延べ90人の方がご覧になりました。柳澤監督の奥様からのカンパでスタッフ・メンバーの弁当も用意できました。最終回は特別にほっとハウスのお菓子を付け、きらりのお茶付き弁当と合わせてメンバー達も大満足。

5年にわたって柳澤壽男(やなぎさわ ひさお)監督・福祉ドキュメンタリー5部作を無事に上映することが出来ました。これも小西昌幸さんはじめ藍住町総合文化ホールの館長・関係者の方々、広報宣伝をしていただいた徳島映画センターの福永さんや宮崎和尚、服部和尚など皆さんのお陰です。心より御礼申し上げます。

映画「風とゆききし」について           
本日は「風とゆききし」をご覧いただき有難う御座いました。この映画を見るたびに私は盛岡市民福祉バンクの所員とよばれる皆の思いを、しっかり受け取れるだろうか?そんな不安を抱きます。日々日常の忙しさにかまけていることの多さを、残念ながら感じます。
この映画は柳澤壽男監督が福祉ドキュメンタリーとして作った第5作目です。5年前、最初に上映した「そっちやない こっちや」が1982年。
その次の「夜明け前の子どもたち」が1968年。次の「ぼくのなかの夜と朝」が1971年、昨年の「甘えることは許されない」は1975年に制作されました。今回の「風とゆききし」は1989年、次は「ナースキャップ」と仮に名前を付けて撮影準備をしていましたが、慢性白血病で1999年6月16日に83歳でこの世を去りました。太陽と緑の会創立者近藤文雄が亡くなった翌年のことです。

 映画新聞90号1992年8月号に「阿賀に生きる」の佐藤真監督にあてた、皆さんにもお渡しした柳澤監督の文章があります。これを読むと「風とゆききし」制作の苦渋や苦悩が読み取れるだけでなく、柳澤壽男の視点や方向性が良くわかります。
 「失敗作だ・・」と本人がこぼしたこともありますが、私はこれが監督の想いが込められた一番の作品だと感じています。
心身障害福祉の父と言われた糸賀一夫は「この子らを世の光に」と訴えましたが、柳澤監督は5作品を作るなかで、障碍者と言われる皆さんから生きるエネルギーをもらい、そして救われた感を抱いたのでは?と勝手に思っています。実は「ナースキャップ」の構想と同時に、太陽と緑の会にもビデオカメラを持ち込み、監督兼カメラマンとして動いた時期もありました。残念ながら思いは遂げられませんでしたが、こうして徳島県藍住町総合文化ホールにて5部作を5年間かけて上映できたことは、あの世で柳澤監督も喜んでいると思います。

 このような映画会を行うことが出来たのも元北島町創世ホール館長の小西昌幸さんのお陰と、心より感謝申し上げます。またこのような素晴らしいホールで行うことができましたのは館長さんはじめ森田さん高磯さんや技術スタッフの皆さんの協力の賜物と思っています。最後に広報宣伝して下さった方々、そして5部作全部をご覧いただいた皆さんと、今回ご覧いただいた皆さんに、心より御礼申し上げます。有難う御座いました。

当日私が映画終了後にお話しした言葉です(杉)
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