今、福祉を問う (12) 近藤文雄

思いやりの心=愛(1)

 福祉の仕事といっても、これも一つの職業であるから特別な心構えや人並み以上の努力が必要だ、というのはおかしい。労働協約の通り普通に仕事をすればそれで十分でないか、という意見がある。この考え方はもっともである。与えられた義務を果たしている限りその仕事を非難する余地はない。また、そこまでやっているなら勤務成績も上の部に属する。
 しかし、定められた仕事を機械的に果たすだけではロボット同様で、人間的情感を欠き、人の生き方としては理想とは云い難い。それでは、理想的な仕事への取組み方とはどういうことであろうか。それは自己の仕事に高い価値を認め、その仕事の中に生きがいと喜びを見出す所にある、といってよいであろう。単に義務を果たすというよりは遥かに積極的で次への高い態度というべきである。
 仕事に生き甲斐を見出している人の例を挙げるには苦労をしない。大きな事業を成しとげた人、学者や芸術家がそうである。会社の運命を背負う重役は寝ても覚めても仕事のことを思い、スポーツの選手や芸能人もその華かさのカゲに知を滲むような精進のあることを忘れてはなるまい。いや、その苦労が大きければ大きい程、成功の喜びは大きいのである。喜ばしいことだが、近頃、無名の、取りたてて云う程のことでもないが、財産や地位や名誉を求めることなく、ひたすらに自分の好きなことに打ち込む若者が増えている。こんな人々は、その仕事を取上げられたらそれこそ悩み苦しむに違いない。
 調査によれば、仕事は生活のために止むなくしているが、生きがいは他にあるという人が少くない。よい機会に恵まれず、一時的にということであれば眼もつむれるが、生涯の大部分を嫌な仕事に費すとは本当に気の毒な人である。もし福祉の仕事をいやいやしている人があったら、この仕事は性に合わないのだから早く止めて自分に適した道を探すのがよい。よく聞くせりふだが、今の自分の仕事はつまらないから働かないのだ。もっと、重要な仕事を任せてくれたなら、もりもりと働いて見せる、という人がある。こんな人間に限って仕事を与えられるとそれを達成する手段を探す代りに、出来ないという言い訳を次から次に見つけ出すものである。好きな仕事なら楽に面白おかしく出来ると思っている人間は、ちょっとした障害にぶつかってもすぐ蹉跌し、仕事はいや、生き甲斐はレジャーにあるなどと云い出すのである。そんな人は、仕事がその人に向かないのではなく、その人が何の仕事にも向いていないのである。喜びや楽しみは苦労というフィルターを通して初めて得られることを知らないのである。やる気のない人間は、エンジンの故障した自動車のようなものである。それはリヤカーにも劣り、さんざん手を焼いた末、誰も相手にしなくなるのがおちである。
 仕事の喜びは生の喜びである。
(近藤整形外科病院長、徳島市富田浜二丁目)

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