今、福祉を問う (20) 近藤文雄

この子らを世の光に

 十歳になっても二十歳になっても、しゃべることも歩くこともできず、食べさせてもらい、おしめをつけている重障児に、社会に貢献することなど期待できない。とすれば、この子らを社会に欠くことのできぬ一員と認めることは不可能であり、所詮この子らは社会のお荷物にすぎないのであろうか。ところが、そうでない、と糸賀和雄先生は云った。
 重障児を持つ親の苦労は大変である。他のことは出来るだけ省略してこの子らの世話に親は没頭する。そのくらい時間もエネルギーも集中しなければやっていけないのである。その親が、この子は私の宝です、生き甲斐です、と云うのである。重障児を見たこともない人にはこの親の心はとても理解できないであろうが、親たちが何の誇張もなく心のままを表明したのがこの言葉である。
 なぜか。私は考えてみた。自分の生んだ子だから可愛いのは当然だが、こんな子の世話をするのは楽しいばかりではない。精神的にも肉体的にも、精魂つき果てる思いをしたことは一度や二度ではあるまい。しかし、明けても暮れてもその子のことばかり考えていると、親の心はその子のことで一杯になる。嬉しいことより辛いこと、苦しいことの方が多いかも知れないが、それでも、この子が居なくなった母親の心には大きな空洞ができるに違いない。生きる張り合いがなくなるというのも事実であろう。それを、この子が私の宝、生きがいと母親は云うのであろう。
 もう一つ、一般の人には考えも及ばぬ重大なことがある。重障児の親はこの子故にさんざん苦労してきたが、その極限の苦しみを通り抜けることによって、それまで考えたこともなかったすばらしい世界に眼が開けたのである。今まで求めていた自分中心の俗世で求めていた自分中心の俗世は目標は色あせ、代りに他人の苦しみや悲しみがよく分かるようになり、人のために尽す意義と喜びを知るようになったのである。そして、親たちは協力し、長い労力を積み重ねて、世の人々の理解を高め、重障児を守る施策をここまで進展させたのである。それは、障害児や親にとって幸せであったばかりでなく、社会にとっても大きな進歩であった。科学技術の驚威的進歩とは裏腹に、世界には不幸が溢れている。あまつさえ、ボタン一つで人類を絶滅させる手筈まで整っているのである。それは物質文明に逆比例する人間精神の退化がもたらした産物である。
 重障児は親を駆り立て、社会を動かして、価値観の転換をさせた。学者の論文も、現代の学校教育も果たせなかった大事業を重障児が成し遂げたのである。重障児は何も出来ないが故に、こんな大事業が出来たのである。親たちは、この子は親にこんなことをさせるために生まれてきたのだという。重障児問題の先覚者糸賀先生は、この子らを世の光に、と云った。この子らを破滅に向って進むこの地球を安全な方向に導く灯明にせよと教えたのである。
 神は美しい詩の如く、対立をもって世界を飾った。世界は罪を持ちながら美である。重障児の不幸は無意味ではない。
(近藤整形外科病院長、徳島市富田浜二丁目)

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