今、福祉を問う (38) 近藤文雄

唯物論と唯心論

 この世とは別の世界があると述べたので、これからその世界へ案内しなければならない。我々は、通常世界と云えばこの物理学的世界、つまり物質から構成され物理化学の法則の支配する世界以外にない、と考えている。しかし、時には、悪の世界にみちた、とか、美の世界に生きるなどという言葉を何気なく使っている。それは、物理学的な世界とは別な、精神的な世界があることをうすうす認めている証拠である。
 しかし、精神的な世界と云っても、眼には見えず手で触れることもできないから、それは虹の橋のようなもので現実の橋とは同列に扱えないと思っている。美の世界と云っても、それは心の中に浮かんだシャボン玉のようなもので、いつ消えるか分らぬはかないものである、と考えている。
 実は、その考え方に大きな誤りがあるのである。物理学的世界は常識が考えている程たしかなものではなく、精神的世界も通常考えられている程不確かなものでもない。両者は本質的に同列である。
 常識が両者を差別する原因は、視覚や触覚を不当に重視して、その他の感覚や意識現象を不当に軽視する所にある。我々は日頃安易な常識という独断のとりこになっていて、論理的に厳密にものを考える訓練を欠いているから、このような結果を招くのである。
 一体、世界とは何か。物理学的世界はその中でどんな位置を占めているのか、ということを吟味しなければならないが、そんなむつかしいことは私にはよく分からないので、ここは私のいい加減な考えを簡単に述べて通して貰うことにする。
 物理学的世界とは、唯物論の上に立つ世界である。つまり、物質という不生不滅の実体があって、それによってこの世界は構成されている、という考え方に基づいている。古代では、地水火風というやや漠然とした要素によって世界は構成されていると考えられていたが、近代科学は、すべての物は九十何種類かの元素によって作られていると教えている。
 このような考え方の上に立つ唯物論の難点は、精神(心)はどうして生ずるか、という説明にある。唯物論は物資というものがある、ということを出発点にしているから、心は脳という物質によって作られる、と説明するより他ない。いくらなんでも、そんな説明は受け入れられない。胃が胃液を分泌する、と考えるのであるが、胃液と精神の違いを考えれば、そんな類推が成り立つはずがない。無用な混乱を避けるために、やや粗雑ではあるが、結論を先に揚げておくと、精神は脳が製造するものではなく、かえって、脳は精神によって作られた、という方が事実に近い。
 それでは、精神が根本で、物質をはじめすべての事物は心が創り出した(考えた)ものであろうか。このように考えるのが唯心論であるが、それも頂けない。唯心論は、まず心という実体があると考え、その心がすべての物を創り出す、と考える所に無理がある。その点、唯物論がまず物質という実体の存在を認めて、そのものがすべてを創り出すと考えるのと同じである。ともに心といい、物という実体であると考える独断から出発している所に無理があるのである。
(近藤整形外科病院長、徳島市富田浜二丁目)

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