今、福祉を問う (50) 近藤文雄

米大統領の就任演説

 ブッシュ新米大統領の就任演説を聴いて米国のお国柄というものを改めて考えさせられた。米国にも良い所と悪い所があろうが、そのよさに焦点を当ててみたい。
 演説は抽象的で具体性に欠けると批判され、ウォール街は失望したと伝えられるが、私はそうは思わない。大統領の演説から経済の流れを先取りして一賭けしようと企らんだ人々には物足りなかったかも知れないが、これから米国の舵取りをしようとする人がその高い理想を述べることは個々の施策を語るよりはるかに大切なことである。私は前半に表われた新大統領の福祉に対する考え方特に、その心の優しさと温かさに打たれる。
 政治家は心にもないことを言うものだ、という不信感をもってみれば、それは単なる作文にすぎぬが、新しい大統領が、その一番大切な歴史に残る演説の中で、自分の心情を吐露したと見れば、それは極めて意義深いことである。日本の総理大臣の施政方針演説なら張り合わせた、羅列的なハートを欠いたものとなりがちだが、そんなものは切り捨てて自己の真意を述べることに徹したのはさすがである。
 大統領が政治の根底に神をおいたのは、プロテスタントの国とは言え、思慮の深さと心の広さを感じさせる。日本ならさしずめ、仏教とか儒教を基盤にするということになろうが、そんな施政方針演説は聞いたことがない。次の柱として自由と民主主義を据えたことは当然である。特記したいのは、
 我々が去った後、ともに働ける人々から、成功するのに懸命だったと云って欲しいのか、それとも、病気の子がよくなったかどうかを知るために足を止めたり、思いやりのある言葉を交わす人だった、ということだろうか。
 と云うくだりである。こんなに優しくて、易しい思いやりのある言葉を、日本の責任ある政治家の口から、公式の場で聞きたいものである。
 アメリカは、高い道徳的な目的を持たないのであれば本来の米国でない、と云い切り友人たちよ、我々になすべきことがあると、社会的弱者に対する細々とした思いの数々を述べ、それを実現するのは必要な時いつでも大きくなる米国民の善意と勇気である、と結んでいる。この理想がどう結実するか注目したいが、それはGNPを誇る日本の今後進むべき方向としても忘れてはならぬことであろう。
 日本は明治以来、西欧文明の輸入に汲々とし、出来上がった形の模倣に全力を注いできた。その結果、テクノロジーは世界一流となった今日、問われているのは創造性である。これは自然科学の分野ばかりでなく、輸入文化のすべてについて言えることである。社会福祉制度も形の上では完備し、福祉施設の建物は実に立派になったが、入れ物は恥かしくないだけの運営ができているだろうか。障害者がそれ程幸せになったであろうか。これをコンピューターにたとえるなら、立派な機器は備えたが、ソフトが不備なため機能を十分発揮していないというようなものである。私がその点についても最も強く感じていることは、施設の職員の定数が余りにも少ないことと、彼らの待遇の貧しさである。その要因は福祉というものの考え方の貧困さにあると思う。形は先進国のそれを真似たが精神の方は学びそこねたのである。私はこの精神を特に高級の政治家に求めたいが、米国の大統領が第一声でそれを強調したのは羨ましい限りである。切花ではなく、地から生えた福祉の生き生きとした姿を見る思いがある。
(近藤整形外科病院長、徳島市富田浜二丁目)

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