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 今から十六、七年前のこと。京都と大阪を結ぶ国道1号沿いに、累々と積まれた車やオートバイの残がいが目にとまりました。
 八幡(やわた)と呼ばれるこの一帯の二、三キロ四方に、多分、何万台もの乗り手を失った車やバイクが静かに時を刻んでいました。ひょんなきっかけでここに出入りするようになり、いつの間にか、ここの雰囲気に引き込まれていました。
 車のエンジンがうず高く積まれた解体屋さん、車のシャーシーが何メートルにも積まれた鉄くず屋さん、何台もの壊れた車やバイクを一つにつなぎ合わせることで、もう一度乗れる車とバイクによみがえらせるレストア屋さん、ドアやタイヤ、バンパーが山積みされた中古パーツ屋さんなど、ありとあらゆるリサイクル屋さんがこの辺りに集まっていました。
 当時、新車を買うことで乗り換えられた車やバイクは、中古販売業者さんの手に引き取られました。その後、レストア屋さん、中古パーツ屋さん、解体屋さん、鉄くず屋さんなどを経ることで一生を終え、鉄くずは高炉と呼ばれる溶鉱炉で、もう一度鉄としてよみがえります。中古自動車屋さんなどは比較的なじみがありますが、そのほかの部門は、当時の私には初めての経験でした。
 事故で大破した新車同然の車がレッカー車で運ばれてくると、その状態を見て、パーツ取りをするをするか、壊れた所を修理してもう一度車としてよみがえらせるかが決められます。
 使えるパーツは部品取りされ、中古パーツとして出番を待ち、ゆがんだボンネットやシャーシーは鉄くずとして資源利用を待ちます。割れたガラスはカレット(ガラスのくず)としてガラス原料に、ひしゃげたラジエーターは銅と真鍮(しんちゅう)の原材料に、破れたタイヤはセメント工場の燃料に、つぶれたエンジンはバラバラにされてアルミニウムや鉄の原材料になります。
 オイルは工場の暖房器具の燃料に使われ、燃料タンクのガソリンは工場のフォークリフトの燃料に利用されます。プラスチック以外はほとんど捨てない利用のされ方は、大変な驚きでした。
 「おやっさん、ほんまにすごいですね」という言葉に、「あんな、あんたらにはボロ車にしか見えんやろけど、一台一台、みんなわしが銭出して買うてきたもんや。無駄にできるかいな、バチが当たるわ」という人生哲学が返ってきました。
 こうした一連のリサイクルシステムは、モータリゼーション社会に循環システムを構築するために造られたわけでは決してなく、人間が生き延びるための生活の糧を得る知恵として、いや応なく生み出されてきました。「この仕事に魅力を感じたから選びました」などという言葉自体が陳腐になってしまう、ある独特な張り詰めた世界がそこにありました。
 オイルにまみれた真っ黒な手がせわしなく動き、フォークリフトのけたたましい排気音が辺り一面を包み込みました。次につながる言葉が見つからずウロウロしていると、一本の缶コーヒーが私に投げ渡されました。
 「こんな仕事はしんどくて汚いだけや。車も変わってしもうてな。昔と違うてプラスチックばかりで、取るとこないようになってきよるわ。銅が安いアルミに変わったり、メッキに変わったりで、どなんもこなんもしょうない。そのうちやめんといかんとこもでてくるんと違うかな。でも、わしらがやめたら困るのは、みんなとちゃうで」。そう言われた言葉が『今』を予測していた、と感じています。
 無料でも車を引き取ってくれる解体業者さんは、もうなくなりました。処理料を私たちが支払うことで、なんとか『今』を支えている現実があります。 
(徳島市入田町月の宮)
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