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徳島新聞「ぞめき」原稿   杉浦良
No.23 タイトル「再出発」

 一九九九年六月十六日、ドキュメンタリー映画作家の柳澤寿男氏が亡くなりました。享年八十三歳。来月七回忌法要が京都でひそやかに催されます。
 戦前は松竹映画の助監督、戦中は日本映画社、戦後は岩波映画の監督として活躍しましたが、柳澤氏のオリジナリティが発揮されたのは、むしろその後に作った『夜明け前の子どもたち』『ぼくのなかの夜と朝』『甘えることは許されない』『そっちやない、こっちや』『風とゆききし』という福祉をモチーフにした五本の作品群です。
 これらの作品に共通するのは、まず映画を作りたいと思った所に、そこのスタッフやハンディーを持った人達が監督たちに違和感を抱かなくなり監督自身がそこの全体像をイメージできるようになるまで、一年も二年も手弁当で通い続けたことです。
 長い導入期を経て、ようやくカメラが回され、最低必要人数で一年も二年も、長い時には足掛け五年もかけて撮影は行われました。その膨大なフィルムを撮影後また一年、二年もかけて編集し、一つの作品として仕上げるわけです。現在では、手間隙を惜しまずかつ粘り強く一つの映画を作ることは、不可能に近いことでしょうが、当時としても珍しく、経済的にも大変な厳しさを要求されたようです。
 最初の『夜明け前の子どもたち』は「福祉の神様」とまで言われた糸賀一雄氏が、一九六三年に滋賀県大津市に重度心身障害児を収容し療育する第一びわこ学園を設立し、その後第二びわこ学園を設立する段階で撮影計画が練られたものです。完成は一九六八年、柳澤監督五十二歳のときです。それまでの彼の生き方を大きく変え、制作方法から資金集めまですべてにわたって新たに挑戦することになりました。
 五十歳という年齢からの挑戦は口で言うほど生やさしいものではありませんが、それ以後二十五年間に四本の映画を作りあげ、次の一本の制作途中に逝去した彼の後姿から、生きる意味が照らし出されます。
 「人生五十年」といわれたそこからもう一度出直す柳澤監督の生き方は、『今』という時代のナビゲーションかもしれません。


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