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徳島新聞「ぞめき」原稿   杉浦良
No.48 「進学率」 二〇〇六年六月二十八日分

 聞くところによれば、現在高校進学率は九十七%、大学進学率は五十%を越えたそうです。四十年ほど前には中学校を卒業後、金の卵と言われてすぐ就職した方もおられた事を考えると、隔世の感があります。高校は義務教育に限りなく近くなり、半数の方が大学に入学する時代とはどんな時代なのかと、流れについていけてない自分が情けなくなります。
 これだけの方が、これ程長く勉強すれば、随分しっかりとした優秀な若者達が育つはずだという予感を、どうもそうばかりではなさそうだ、という第六感が消し去ります。「今まで大学は、学生を教えるというより、勉強は自分で勝手にやるものという姿勢が強すぎた。これからは高い授業料をもらっている以上、手取り足取り教えていく視点が必要だ。きちんと教えられるプロとしての意識が要求される。」と五、六年前に、ある先生が話された言葉がよみがえりました。少子高齢化の波が大学を包み、大学自身も研究と教育の分離や、高校レベルにまでさかのぼって補習する必要性が叫ばれるようになりました。
 進学率が十五%以下では大学はエリート化し、五十%以下では大衆化し、五十%を越えるとユニバーサル化すると、マーチン・トロウ氏は説かれているそうですが、日本の大学はとうとうユニバーサル(一般的)の領域に入ったことになります。
 手取り足取り教えることで、分からないことが分かるようになることも確かにあります。ただ、一つ一つ教えられることではなく、たとえば長い下積みの中で、一人前になりたいという思いを高めて、先輩の技を目で盗むことで分かるようになる、そんな伝統的教育法もあります。
 きちんと教えられれば理解するという構図が一人歩きし、きちんと教えてくれないから理解できない、という結論が導き出されます。ただ、大学の中身がどう変わろうが、本当に優秀と言われる方は、伝統的教育法のDNAを持っておられるのでしょう。「そんなことは教わっていない」と言い訳するより、どう学ぶのか、という姿勢を体得することに、教育の本質が隠されているのではと考えます。
 そのあたりは大学の先生が手取り足取り教えることで学べる問題というより、むしろ進学率の高さこそが、そのことを見えなくさせる大きな要因とも思えます。(杉)


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