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徳島新聞「ぞめき」原稿   杉浦良
No.55 「メモリアル」 二〇〇六年十月十七日分

 十月初めの徳島新聞「追想」の欄に、佐久総合病院名誉総長若月俊一さんが紹介されていました。
 今から三十年近く前、私の恩師であった柳澤寿男映画監督が、当時の若月先生の志とその実践を高く評価していました。一度の面識も無く、その著書すら読んでいない私ですが、大学の医局を離れ、長野県の農村に入り込み、病気を治すことよりその予防に人生をささげた、本当に立派な医者だ、と何度も何度も聞かされました。
 その詳細もいつしか忘れ、途切れた記憶の断片になった今、その訃報(メモリアル)を読んで、あらためて記憶がよみがえってきました。
 一九五九年から当時は画期的だった巡回集団検診を始め、宮澤賢治の農民芸術論から触発されての、演劇を通した病気予防など「信州の赤ひげ」と慕われながら、農民の目線で農民の健康を考えた気骨ある医者だったようです。
 「農民の目線で農民の健康を」という言葉が、何か時代遅れの感じもしますが「市民の目線で市民の健康を」と置き換えれば、今にフィットします。患者には優しく部下には厳しい、待ってたくさんの患者を診るより、出向いてたくさんの患者を作らない、むしろ病院経営や職員受けの悪くなる素質に長けた先生が、最後まで地域医療の充実にこだわったその意味を、当時の柳澤監督は「ドキュメンタリー作品として映画に収めたい」と語っていました。
 「『こんな偉いお医者さんがいた』という語り伝えも大切だが、そのどこが偉いのか、そしてそのどこが尊いのかを、長野県の農民を通して、映像としてとらえることが出来れば、それは普遍的意味を持つ・・」。そう熱く語った監督も、七年前に八十三歳で亡くなりました。若月名誉総長が九十六歳で亡くなり、その精神を引き継ぐ松島名誉院長は七十八歳と知りました。
 全都道府県で、一人当たりの高齢者医療費は長野県が最少だという事実と、高齢者有業率(六十五歳以上の人口に占める六十五歳以上の有業者割合)の相関関係を指摘される方もおられますが、私には若月先生の歩まれた軌跡こそが、この事実に表れているように思えてなりません。合掌。(杉)


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