徳島新聞「ぞめき」原稿 杉浦良
No.108 タイトル「脚下照顧」
ホテル千秋閣にて十四日、徳島県障害者地域共同作業所連絡協議会主催の研修会が行われました。滋賀県で障害者支援の仕事に携わる全日本手をつなぐ育成会理事の白杉滋朗(しらすぎしげお)氏が、今後の障害者支援について話されました。
「障害者自立支援法が作業所に突きつけたもの」「インクルーシブの対立軸に位置している障害者作業所」「存在を許される作業所から存在を求められる作業所へ」「仕事興しの核をどう作る?ハート購入法の上程を巡って」などと小題をつけ、日本の作業所の三十年を問いかけられました。
「地域福祉などという言葉が当たり前でないころ、たとえば障害のある子供さんが、ほかの家に上がり込んで、勝手にジュースやお菓子を飲んだり食べたり、ある時は玄関先でウンチをしてしまったりすると、ご両親は本当につらくて、できれば迷惑のかからない、その子が暮らせる場所が欲しいと願います。そして、障害のある人たちの暮らす施設が当たり前になると、できれば地域で暮らせるように家から通える場所があれば、施設に入らなくともうまくいけるのではと願うようになります。家から通える作業所が当たり前になったとき、最初はもらえるだけでうれしかった月三千円の工賃も、もう少し増えて気にいた服や好きな発泡酒も買えたらいいなと願うようになります。そして頑張って一万円もらえるようになりましたが、障害者年金と合わせても一人暮らしはできません。できれば作業所から一般の会社に就職したいと願うようになります。ただ授産施設や作業所から一般就労できた方は一%ほどで、気がつけば作業所で三十年の月日がたちました・・。授産施設や作業所は、障害のあるメンバーたちの思いをかなえる努力を続けてきたのでしょうか。」
私が勝手に白杉さんの話を脚色台本化すればこんなふうになります。成り立たせるだけで大変な作業所に、次のテーマが出されました。大変さにかまけてばかりはいられません。(杉)
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