ワーカーの熊倉匡志(22)は布団の中でとりとめもなく考えていた。就職のこと、将来のこと、作業所のこと・・・。「メンバーと呼ばないとすれば、彼らをどう呼んだらいいのか」。ふと、思った。

 ◆さまざまな人が


「太陽と緑の会リサイクル」でのワークキャンプに参加し、初めて障害のある人たちと寝食を共にした。描いていたイメージとはかなりかけ離れていた。障害を持つメンバーの中には明るい人、暗い人、仕事熱心な人、そうでもない人、よく話す人、話さない人、字が読める人、読めない人、ウマが合う人、会わない人、複雑な作業ができる人、できない人・・・。さまざまな人がいる。
考えてみれば当然のことだが、それでもメンバーたちと出会うまでは、いろいろな人がいるとは想像したことがなかった。
作業所の中では、メンバーに障害があることを忘れてしまうときもある。「車いすに乗って、純粋に懸命に生きている人たち」などといった一面的なとらえ方は通用しない。メンバーを「障害者」と呼ぶことに抵抗を感じた。なかなか寝つけなかった。
樋口敦子(19)は無意識の差別に気づいたという。大学では社会福祉を学び、障害を持つ子供たちともかかわったことがある。「自分は人を差別するような人間ではない」と思い込んでいた。
作業所で、初めて体験した農作業やリサイクル活動。「障害を持つ人より、自分の方が役に立つに違いない」と思っていたが、実際はほとんどの場合、逆だった。しかし、メンバーたちも最初から作業ができたわけではないと聞かされた。

 ◆見えた!進む道

「しょうがない、障害者だから」。これまでは相手の力を見極めようともせず、代りに何でも「やってあげる」ことが優しさだと誤解し、肝心なところで目を閉じていた。「実はあらかじめ可能性を奪ってしまっていたのではないか。できることをできないはずだ、と一方的に決め付けていたのではないか」。ワークキャンプに参加するまでの障害者との関係を振り返り、そう思った。
キャンプ後半に、月の宮作業所(徳島市入田町)生活棟で開かれたコンサートでは、アマチュアバンドがベンチャーズのヒット曲を演奏した。若いワーカーになじみの薄い曲ばかりだったが、踊れた。
同じ仕事をしてきた仲間同士に広がる連帯感。メンバーとワーカー、スタッフが輪になって飛び跳ね、三十六畳の畳の間が揺れた。
初対面の人たちと、どう接していいのか悩み、なかなか溶け込むことのできなかった石崎朋美(25)が楽しそうに笑った。「障害のある人がいて、ない人がいて、これが当たり前なんでしょうけど、街で見掛けないのはなぜ。共に話、共に作業する中で、ようやく自分の進む道もみえてきました」
翌日のお別れパーティーで、メンバーの一人が「君が代」を間違えることなく歌った。彼が歌えるのは、このほかに小学校の校歌と「手のひらに太陽を」だけだった。過ぎ去る時間を惜しむように、若者たちは夜遅くまで話し続けた。
(敬称略)
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