今、福祉を問う (17) 近藤文雄

筋ジス患者の救い

 身体障害者の種類は多いが、その中で筋ジストロフィー患者ほど苛酷な条件の下におかれているものは少ない。病気の進行は極めん徐々ではあるが、すべての患者はいずれ次のような経過を辿る運命にある。
 全身の筋肉が次第に痩せ衰えて、手も足も動かなくなり、歩くことはおろか眼の前の物をとることすら出来なくなる。食事も排泄も人手を借らねばならず、ついには寝たきりになって寝返りをする力もなくなるのである。その時、僅かに残された自由は、精神の働きは別として、息をすることと、しゃべることだけ。それも、呼吸筋や心臓の筋肉が衰えるために、か細い声でやっと話せる程度で風邪でも引こうものなら痰が気管支にからんで窒息の危険にさらされることになる。年とともに確実に進行する病勢を止める手段はまだ発見されていない。
 こんな想像を絶するような苦難に堪えている筋ジス患者がどんな辛い思をしているか、私はこれまで様々な筋ジス患者の姿を見てきた。悲しみ、憤り、恨み、反抗、放心とその姿は変わってはいるが、その根底にある、この余りにも非情な現実を受け入れられない苦悩という点では皆同じであった。大部分の人は最後の最後まで現実の受入れを拒否しているように見えた。が、そんな中に、稀ではあったが、現実を平静に受け止め、見事に心のバランスを保って生きている人を見た。また、その内の何人かは、極めて謙譲で足るを知り、拳に感謝の心が溢れ、しかも、渾身の力をふりしぼって他人のために尽くそうとしていた。私は限界状況における人間精神の偉大さを見る思いがして感動せずにはおられなかった。
 社会に出て働き、地位や財産を築き、結婚して温かいマイホームを作ることは常人にとっては人生最高の目標である。筋ジス患者にはそれが初めから拒否されていることは彼らの人生が根底から否定されたと同然と考えても無理はない。しかし、この考え方は前回に述べた人間の発達段階で云えば第二の段階での話である。第三、第四の段階にまで成長すれば話はガラリと変わり、筋ジス患者にも活路が開けてくるのである。
 第二の発達段階から第三の段階に移ることはさほど困難ではないが、第三から第四に移る途中には途方もなく大きな障壁が立ちはだかっている。これを乗り越えることは、極く限られた人にしかできない。求道者は自ら求めてありとあらゆる難業苦業を自分の身に課して悟りを求めようとするが、筋ジス患者は自ら求めないのに運命に強いられて苦難の道を歩むことを余儀なくされている。両者に共通なことは、ともに、地獄の責め苦にも似た茨の道を通り抜けることによって、始めて次元を異にする全く新しい世界に開眼することである。
 筋ジス患者が、そして我々一般の人間も、真底から救われるのは第四の段階においてのみである。筋ジス患者の中にここまで到達した人が少しでもいるということは驚異であるとともに救いであった。(近藤整形外科病院長、徳島市富田浜二丁目)

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