今、福祉を問う (22) 近藤文雄

リサイクルの始まり

 福祉リサイクルは金儲けのためにやっている、と考える人がいても不思議ではない。実際利益目的でリサイクルをやっている人は多いし、正当な取引をする限り彼らはやましいことはないからである。
 しかし、太陽と緑の会のやっている福祉リサイクルは利益が目的ではない。もちろん運営費を産み出すために一定の収入をあげねばならないがリサイクルを運営する目的には次のようなものがある。
 物を大切に、物に感謝する気持ちを育て、運動を通じて市民の連帯感を養いボランティア活動を促進する。そしてこれが一番大切なことであるが、困っている障害者が生き甲斐のある生活をするのを助けることである。この障害者に対する我々の考え方には少し説明を加える必要があろう。
 障害者の持つ障害の種類や程度は様々であるが、大抵の者は家庭や施設、事業所などで何とかおさまっている。ところが、中にはそのどこにも適応できないで苦しんでいる障害者がいたり、一応表面的には旨く行っているように見えても生き甲斐のある生活ができていない人がいる。我々はそんな人々と一緒にリサイクルの仕事をしながら、障害者の生きる道を模索しようというのである。何故そんなことを考えるようになったのか、それについて少し説明をしてみよう。
 この基本的な考え方は、福祉リサイクルの責任者、杉浦良君の止むにやまれぬ気持ちに発している。彼は元々大学で電子工学を専攻していたから、そのまま進んでいたら今頃は大企業に就職して安定した生活をしていたに違いない。ところが、運命のいたずらはある日彼を施設の見学に連れて行ったのである。そこで見た知恵おくれの子の姿が彼の脳裏に焼きつき、以来ボランティア活動をしている間に映画監督の柳沢寿男氏に出会い、彼は電子工学を捨て、社会学科に転向することになったのである。
 大学卒業後、彼は愛知県の知多市で在宅の知恵おくれの子を集めて作業所を作る仕事に数年間を費やし、その後大阪に移って、知恵おくれの子二人を連れて廃品回収業者の所で働き、リサイクルのノウハウを身につけて、柳沢監督の紹介で太陽の緑の会にやってきたのである。
 太陽と緑の会はリサイクルについては何の知識も経験もなかったが、会員は両手を挙げて彼を受け入れた。そして会が入田町に持っていた豚小屋を作業所に当て、彼を私のマンションに住まわせ、中古のトラック一台を購入して仕事をはじめたのである。初めからこの仕事が成功する見込みがあった訳ではなく、彼はそれまでに貯めていた僅かな預金を喰い延ばして、一年や二年は収入はなくとも頑張ろうと背水の陣を敷いたのである。こんな彼を金儲けのためにやっている、などと誰が云えるだろうか。
 彼をここまで駆り立てたのは何か。太陽と緑の会員は何故一も二もなく彼の支援に立ったのか、そこがリサイクルの肝心な所である。
(近藤整形外科病院長、徳島市富田浜二丁目)

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