今、福祉を問う (41) 近藤文雄

オリエンテーション

 本欄も回を重ねて話の道筋が平地から森の中にさしかかってきた。そして、前後左右の見通しが悪くなったせいか何のために訳の分らぬ理屈をこねるのか、という文句が聞こえるようになった。そこで、途中ではあるが、ここいらでちょっと一服して、オリエンテーションをつけたいと思う。
 旅をするには目的地に至るまでの全体の地図がないとなんとなく不安にもなろう。そんな時大ざっぱな鳥瞰図でもあれば、ジャングルの中にいても、図面上の位置が確かめられて安心できるというものである。
 ということで、話の全体を概観するために、今まで述べてきた話を復習しながら、これからの道筋のあらましを述べてみよう。
 本欄の目的は、社会福祉を推進すること、ただそれ一つである。そして私は、福祉という広大な領域の中で、これまで障害者福祉に焦点を絞って話をすすめてきた。
 障害者が幸せになるためには、当人並びに、当人に関わりのあるすべての人が、障害者の幸せを願って協力、努力しなければならぬことは云うまでもない。
 その中で行政については、政治の最高、最終の目的は国民の福祉である。この目的からはずれた政治は政治とは云えない、と述べた。
 一方、国民については、福祉と云えばすぐそれは国や市町村の仕事と考え、自分がその最高責任者であることをトンと忘れている人が少なくない。社会福祉は行政の責任、もっと手厚いサービスをせよ、税金を下げよと他人ごとのようなことを云うばかりでは福祉はすすまない。国民の一人ひとりが、まず自分にできることは自ら進んで奉仕しようという積極的な姿勢を持つことが基本である。その土台の上に組織的な施策が行われてはじめて効果はあがるのである。私は民主主義の理想は、ボランティア精神の裏付けがなくては実現しないと思っている。公務員、商社マン、労働組合員、教員、自営業者、農家、学生、主婦などだれでも、それぞれの立場において日常生活の凡ゆる場面に自主的に奉仕する機会はいくらでも転がっている。
 障害者福祉の中で、障害者の親は特別に重要な意味を持っている。親にもいろいろあり、頭の下がるような立派な人が多いが、中には援助をうけることが福祉だと心得子供を施設に預けっぱなしにして顧みない親もないではない。子供を見捨ててどこに福祉があろう。苦しい中で子供とともに生きる所に最高の幸せがあるのではあるまいか。
 以上障害者を取り巻く周辺の人々の役割について述べたが、人間の幸せは他人に頼るだけで得られるものではない。真にゆるぎない幸せは当人の堅実な考え方と真剣な努力によってのみ得られる。他人がどんなに誠意を尽しても手の届かない所があり、それから先は自分に頼るより他はないのである。その意味では人は孤独である。それは何も障害者だけに限ったことではなく、政治家も、スポーツマンも、その他すべてである。
 それでは障害者が幸せになるために彼らはどう考え、どう振舞ったらよいか、これから私は障害者の方々と一緒に考えてみたい。
(近藤整形外科病院長、徳島市富田浜二丁目)

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