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徳島新聞「ぞめき」原稿   杉浦良
No.45 「この子らを世の光に」 二〇〇六年五月十五日分

 四月二十二日、徳島市ふれあい健康館で、きょうされん徳島支部結成記念講演会が行われました。「きょうされん」とは、障害のある人たちの全国共同作業所連絡会のことで、理事長の立岡晄さんの「障害者自立支援法ーどうなる障害のある人たちの生活。どうする新規事業移行―」と題した講演を聞かせていただきました。
 一九四七年に滋賀県で生まれた立岡さんが、講演の最後に、糸賀一雄氏の著書からの言葉を抜粋し読み上げられたことで、懐かしい郷愁に似た感覚を覚えました。
 「この子らを世の光に」という福祉関係者なら一度は耳にしなければならない言葉を、その著書『この子らを世の光にー近江学園二十年の願い』(一九六五年発行)に糸賀氏は残されました。思えば三十年も昔、私には、糸賀氏をはじめ福井達雨、田村一二氏らの著書を読みふけった時期がありました。
 あらためて、一冊だけ手元に残っている「この子らを世の光に」を繰ってみると、福祉と呼べるほどの制度もないころの日本の、ハンディーを持った人たちを取り巻く情景が、リアルによみがえってきます。経済的には報われず、夢と思いが唯一の支えの中で、福祉にかかわった二十年を書きつづった三年後(一九六八年)に、知的障害児の父と呼ばれた糸賀氏は五十四才で急逝しました。「・・世の光というのは聖書の言葉であるが、私はこの言葉の中に『精神薄弱といわれる人たちを世の光たらしめることが学園の仕事である。精神薄弱な人たち自身の真実な生き方が世の光となるのであって、それを助ける私たち自身や世の中の人々が、かえって人間の生命の真実に目ざめ救われていくのだ』という願いと思いを込めている。・・一千年余りの昔、伝教大師があの山を開き、一隅を照らす人こそ国宝だと喝破されたことを偲んだ。・・」と後書きにあります。
 現在、日本の障害者福祉の先進県は滋賀だとよくいわれます。糸賀氏も立岡さんも、琵琶湖のほとりから比叡の山並みを、法然や親鸞や日蓮や道元のように、一隅を照らす新しい使命を自覚しながら、毎日眺めておられたのでしょうか?(杉)


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