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徳島新聞「ぞめき」原稿   杉浦良
No.93 タイトル「母の底力」

 先日、仙台市にある社会福祉法人ありのまま舎の機関紙「自立」が送られてきました。ありのまま舎は筋ジストロフィー(別名進行性筋萎縮症、治療法がなく全身の筋肉が衰え最後は死を迎える難病)や、重度障害者の方々の自立ホームを持ち、寝たきりで人工呼吸器を付けた山田富也常務理事が活躍する日本でも大変ユニークな団体です。
 「お疲れ様でした。山田外与子さん逝去」と題して、筋ジスで重度障害の息子三人の生活と教育をゼロから切り開いた、自身のお母さんが紹介されていました。昭和三十五年当時、たまたま授かった息子三人が筋ジスという厳しい現実と、福祉的フォローや医療的フォローがほとんどなかった現実に、一人の母親が必死に解決の糸口を探り続けます。
 「『この子の病気は進行性筋萎縮症といって、まだ治療法が分かっていない病気です。だから、世界中どこへ行っても治すことはできません』一通りの診察を終えて、私は両親を前にしてこの冷酷きわまる宣告を下した。その時にみせた母親の、憤りと恨みと悲しみで涙が溢れそうになった眼を、私は今でもはっきり思い出すことができる。・・」そう当時の病院長は書き残しています。
 当時、病院は病気の治療を行うところで、治療法のない患者を入院する事などご法度の時代です。しかし入院を断れば一家心中でもするほかなかった状況に、病院長は苦しみます。
 国立病院が病気の治療をするのは、国が国民の幸せを守る義務があるからだ。幸いここは院内学級で勉強もできる体制にしたばかりで、ほかに代わる病院はない、そう決断した病院長は、内緒でこの筋ジス兄弟を入院させます。これが日本で初めての筋ジス患者の入院で、院内学級で教育が受けられるようになった最初です。
 それから数年後、当時の厚生省はこれを正式に受け入れることになりました。このことに母である山田外与子さんが、全身全霊を投げ打った事は言うまでもありません。兄二人と父親が亡くなり、そして母親が亡くなった今、最後に残った山田さんは「治療法のない病に侵された三人の子どもを抱えた両親の苦労はいかばかりだったか、年を重ねるごとに実感する」そう結んでいます。(杉)


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