徳島新聞「ぞめき」原稿 杉浦良
No.68 タイトル「身の上話」
「当時、筋ジストロフィー症(進行性筋萎縮症)の患者さんを、病院に入院させる事はできなかったんだ。治療法もなく、救急でもなければ、病院の目的に反するという事だね・・。しかし、神様のいたずらか・・、授かった三人の子供が、この病気を全員背負う事になる家族と出会ことになった。・・この病気はね、全身の骨格筋が次第に萎縮し、寝返りも打てなくなり、最後は寝たきりになって若い一生を終えるという厳しい現実に直面するんだ。十五歳と二十歳に死亡率のピークがあったが、今は人工呼吸器でもっと長生き出来るようになったね。それでもまだ治療法は見つかっていない・・。
当時の医療保険制度は、同じ病気で三年以上保険を使う事は出来なかったので、自費で治療を行うしかなく、精神的にはもちろん、経済的にも最悪の事態に直面していた・・。もし私が入院を断っていれば、一家心中するしかなかったかもしれないね・・。
治療法のない患者を入院させる事は病院の目的に反することかもしれないが、病気は治せなくとも、患者の幸せをこの病院でしか守る事が出来ないとするならば、入院を拒否すべきではないと考えた。少なくとも国立の病院が病気を治療するのは、国民の幸せを守る義務があるからだし・・。
本当は厚生省の指示を仰ぐべきだったかもしれないが、待ったがかからないという保障はないし、意思決定に随分時間がかかると思ってね・・。独断で入院させる決心をしたわけだ。ただ全国から百人を超える子供達が集まってしまって・・、まずはベッドで寝たまま勉強ができる環境が必要になったね。しかし症状は容赦なく進行し、歩いていた子は寝たきりになり、そのうち身動きもできなくなって死んでいくわけだ。
・・この病気の治療法が解ればこの問題は解決すると思ってね。筋ジストロフィー研究所設立運動をすることにした。国立病院の病院長のなり手はたくさんいるが、研究所設立運動をしようとする人間は私くらいだから、国家公務員を辞して、一市民として国会に請願しようと考えたわけだ。ただ研究所を造れ、などと真正面から打ち出せば、常識外れで奇異に見られるし、実際自信もないので、両親も年老いたし家の都合で故郷徳島に帰るということにしたね・・。」
若いころ、そんな話を、しみじみと聞かせていただきました。時々ふと脳裏をかすめる、一人の医者の身の上話です。(杉)
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