徳島新聞「ぞめき」原稿 杉浦良
No.102 タイトル「ボランティアの理念」
「ボランティアばかりやらんと、自分のことをしっかりやらんでどうする!養護学校の先生や社会福祉を仕事にするならそれもいいが、工学やるのにボランティアはいらん!」
随分昔、学生のころ、よくしかられました。しっかり勉強して、恋愛もボランティアもほどほどに、有名大学を卒業して有名企業に就職するのが、当時大多数の納得する王道だったと思います。そのころ日本では、ボランティアという言葉自体、えたいの知れない外来語で、慰問とか奉仕とか慈善事業という言葉が一般的でした。
時代が変わり、ボランティアも単位として認められたり、推薦入学の大事な条件として活用されるようになりました。ボランティアという言葉も、防災、防犯、子育て支援、環境、美化、地域おこし、傾聴、介助、障害者支援、精神保健福祉、ワーキングプアー支援、ニート支援、高齢者支援、青少年育成、文化芸術支援、健康増進、食育、難病支援、相談支援、ホームレス支援など、数え上げればきりがないほど、ボランティアにリンクする言葉の大流行です。
こんなにあると、全てボランティアで成り立ち、問題が解決するような錯覚に襲われますが、そんなことはありません。それだけ問題が多様化し、にっちもさっちもいかなくなった「今」があるということでしょう。そしてアメリカ発の金融恐慌で、問題はますます深刻化することになるかもしれません。
「自由主義市場経済においては、能力差による所得の格差が必ず生じます。・・もちろん能力のある者は、自由にその能力を発揮できなければなりません。ただし・・能力のある者の活動は、社会でもっとも恵まれない者に、最大の利益となるように機能しなければ許容されない・・。自分の能力は理由なく偶然に与えられたものなので、これを私物化してはならないからです。能力は社会の共有財産なのです・・」。そんな言葉が「喜望の家」の機関紙に「五つのパンと二匹の魚」と題されて書かれていました。日雇い労働者の街と呼ばれる、大阪市西成区の通称「釜ヶ崎」で、長年断酒支援や越冬支援などを行っている団体の理念なのでしょう。
ボランティアをするための理念を、もう一度考え直したい晩秋です。(杉)
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