徳島新聞「ぞめき」原稿 杉浦良
No.105 タイトル「日本の良識」
テレビや新聞をにぎわせている「理由なき犯罪」に、心が痛みます。「誰でもよかった」などと報道されると、それでなくともカサカサした心はカラカラになります。
二〇〇八年九月号から十二月号の「手をつなぐ」(全日本手をつなぐ育成会発行)に掲載された浜井浩一氏(龍谷大学法科大学院教授)の特別連載は、私にとっても心の恵みの雨となりました。
「治安は本当に悪化しているのか」「刑務所にいる犯罪者とはどんな人たちか?」「『自業自得社会』から『お互い様社会へ』」と題して刑務所が「治安の最後の砦」から「社会福祉の最後の砦」として機能している実態を描かれています。
犯罪を統計学的に考察すると、一九五〇年代後半から殺人事件は減少しており、検挙率は九五%前後で推移。家族間の殺人は、日本の戦後一貫した特徴であり、窃盗で捕まる人の数も横ばいか、やや減る傾向にあると指摘されています。ただ高齢者の割合が少年を抜き三割を超えたということと、障害者の増加と、治安が悪くなったとする方々の割合が大きく増えたことを、近年の特長として挙げられています。
刑務所の受刑者は、極悪非道なイメージとは随分違い、高齢者と知的障害者が多数を占めているのが、現状のようです。年間に検挙された約二百万人のうち、約三万人が受刑者となる日本において、現実は凶悪犯人のイメージよりは、社会から外れ、むしろ社会の負け組とされる人々の存在がそこにあります。
犯罪行為はきちんと処罰され、罪を償うことは当たり前ですが、学校や病院や福祉施設からこぼれ落ちた人たちの、最後のセーフティーネットとして、刑務所が機能しているわけです。「社会福祉の最後の砦」が弱体化し、断ることのできない最後の砦である「治安の砦」で、ようやく引っかかる人たちの存在が今あぶり出されます。
元少年院や刑務所で心理鑑定や処遇を担当し、現在犯罪学を教える教員が、不寛容で自己責任を追及する「自業自得社会」よりは、お互いの失敗を助け合う「お互い様社会」の復権を唱えることに、来年の日本の良識を見つけました。皆様に幸多き新年でありますように。(杉)
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