この記事は 昭和63年1月11日から1年間 に渡り、毎朝新聞(徳島市三軒屋町)に毎週月曜日に掲載されたものです
-全54回終了−
[53] 筋ジス治療に曙光
[52] 私の教育観
[51] 半沢先生のこと
[50] 米大統領の就任演説
[49] 湊氏からの手紙(3)
[48] 湊先生への手紙(2)
[47] 湊先生への手紙(1)
[新春随想] 寅さんの愛 
[46] 価値観の洗練
[45] 自己実現
[44] オリエンテーリング U
[43] オリエンテーリング T
[42] お月様を取って・・・
[41] オリエンテーション
[40] いろいろな世界
[39] 物という実体はない
[38] 唯物論と唯心論
[37] もう一つの世界
[36] 生死を越える道
[35] 個性と放恣は違う
[34] 最高の理想・人格の実現
[33] 理想の成長
[32] 理想とは・・・
[31] 快楽より理想追及を
[30] 楽の裏には苦が・・・
[29] 幸せの青い鳥
[28] 幸せは価値観確立から
[27] 福祉の条件
[26] リサイクルの活動
[25] いきいきと生きる
[24] リサイクルの歩み
[23] リサイクルの狙い
[22] リサイクルの始まり
[21] 無欲は大欲に似たり
[20] この子らを世の光に
[19] 障害者も対等な仲間
[18] 不可欠な社会人
[17] 筋ジス患者の救い
[16] 人間の発達段階
[15] 障害者が幸せになる道
[14] 花嫁修行に介護体験も
[13] 思いやりの心=愛(2)
[12] 思いやりの心=愛(1)
[11] 施設職員の心構え
[10] 障害者を守る喜び
[9] 福祉の尖兵(施設職員)の責任
[8] 美しい心を育てよう
[7] 人間の本性は善か悪か
[6] 非常な施設排斥の声
[5] 情は人のためにならず
[4] 福祉は国民の責任
[3] 国民の幸せが政治の幸せ
[2] 福祉は心の問題
[1] 強く推進するために

近藤文雄氏の横顔

大正5年(1916)年徳島市生まれ。九州帝国大学医学部卒業。東京大学医学部整形外科入局。国立玉浦療養所長、東北大学医学部助教授を経て、昭和35年国立西多賀療養所長になる。筋ジス患者収容開始(全国初)。昭和45年国立療養所を辞し、筋ジス研究所設立運動を開始。徳島にて近藤整形外科医院を開業。昭和46年太陽と緑の会(任意団体)設立。昭和48年国会請願、首相陳情。昭和53年神経センターが東京に創設される。昭和54年より徳島県心身障害者福祉会理事長を務め、平成10年3月11日寂。

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